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中世ヨーロッパの鐘とは?祈りと時間を支えた音の文化

ヨーロッパの町を歩いていると、どこからか聞こえてくる鐘の音。それはかつて、単なる音ではなく、人びとの祈りと、一日の時間を形づくるものでした。

中世ヨーロッパにおいて、鐘の音はどのように生活に組み込まれていたのでしょうか。教会と都市、それぞれの役割とともに、その背景にある文化をたどります。加えて、警報や守護の機能にも触れていきます。

目次

鐘の音とともにある記憶 ― 変わらない「故郷」

まだ人が自分の脚で旅していた時代、しばらく故郷を離れていた人が、ふたたび帰路へつく時、はじめに感じる「故郷」は、鐘の音でした。

それは、町の姿が見えないうちに耳に届き、物心ついたときからの、故郷でのさまざまな記憶を呼び覚まします。たたき起こしにくるお母さんと朝の鐘、食事をまちわびるときの昼の鐘、あるいは、大切な人が亡くなったときの悲しげな鐘、近所のお姉さんが結婚したときの祝福の鐘——。

その調べを耳にすると、精神と心は知らず知らずのうちに、青春時代の喜びと悲しみ、労働と仕事あがりの時、さまざまな憧れと効用、癒しの時の思い出へと導かれる。この暮らしのすべてを生じさせ、終わらせ、寄り添い、聖なるもの、美しいものに変容させてくれたのは、金属でできた鐘の語る音だった。

パウル・ザルトーリ『鐘の本』吉田孝夫訳、八坂書房、2019年、13頁。

ヨーロッパの人びとにとって、故郷の鐘とは、他と聞き間違うことのない、身に沁みついた音でした。子供時代からどれだけ町の姿が変わろうとも、鐘の音だけはいつまでも変わらず彼らを迎え、楽しかったあの頃を思い出させてくれるのです。

中世ヨーロッパの鐘とは?役割と基本機能

招集と祈祷から、生活を回す合図へ

中世ヨーロッパにおける鐘は、共同体(町や村)の暮らしにとって、なくてはならないものでした。人の暮らすところには鐘の音があり、鐘の音があるところには、人の生活がありました。鐘はその町の一員のように愛され、聖なる役目を果たすときには、敬われてもいました。

鐘は最初に、キリスト教文化と結びついて、人びとの生活に溶け込みました。その古くからの機能は、「招集の合図」です1。つまり鐘の音は礼拝に際して、信者たちを招集するための音として使われました。

具体的には、まだキリスト教信者が「日陰者」の立ち位置だった、ローマ時代にはすでに、カタコンベでのミサの招集の合図として、小さな鐘(鈴)が使われていました2。この機能は今でも、日曜礼拝の招集の合図として存続しています。

次に一般的な鐘の機能は、「祈りの合図」です。ローマ・カトリック教会では13世紀頃から、多くの地域で、朝・昼・夕の一日3回のタイミングで、鐘を鳴らすことが一般的になりました3

個人的には、この鐘の音は、本来は「合図」ではなく、祈りに集中する——瞑想状態にはいり、神と深く関わる——ことを、助長するための音の調べだったと考えます。しかし聖職者でない一般人は、「音が鳴りだしてから」、そのタイミングだと気づき、祈祷の体制に入りました。その結果、祈りの鐘は、「祈りを深める調べ」より、「祈りの合図」の機能の比重を、大きくしていったと考えます。

最後に、教会が用いだした鐘の音は、「人びとの生活を動かす合図」にもなっていきました。具体的には、教会が鳴らしはじめた、朝・昼・夕の鐘の音は、そのまま、以下のような合図になりました。

  • 朝の鐘:労働の開始、市門の開放、市場取引の開始
  • 昼の鐘:お昼休憩
  • 夕べの鐘:労働の終了、消火時刻、子供の寝る時間、市門の閉鎖(2回目の夕べの鐘)

まとめると、中世ヨーロッパにおける鐘の主要な機能には、以下3つがありました。

  1. 礼拝招集の合図
  2. 祈りの合図
  3. 人びとの生活を動かす合図

もちろん、鐘には上記以外にも、さまざまな機能があります。本記事ではほかの機能も含めて、詳しく紹介していきます。

西洋鐘のしくみ

William Henry Stone, 1879年。

ここで、西洋鐘のしくみを簡単に紹介しておきます。西洋鐘は、音を鳴らすしくみが日本と異なるからです。

日本の寺にある鐘は、鐘の外側を撞木で叩いて音を出すのが主流です。いっぽうヨーロッパの鐘は、内部にぶらさがった鐘舌を揺らし、内部に叩きつけることで音を出します。大きな鐘の場合には、鐘から下げたロープに、人がぶらさがることで、その重みで鐘を揺らします。

現在ではヨーロッパの多くの町で、鐘つきが機械化されています。しかし愛されるのは、人のぬくもりや魂が感じられる人力方式のほうで、特別な行事のときに限り、鐘つきを人力で行う町も多いです。

教会の鐘:祈りと時を形づくる音

アンジェラスの鐘

すでに紹介した通り、中世ヨーロッパにおける鐘は、キリスト教信仰と結びついて、人びとの生活の一部になっていきました。

中世社会においては基本的に、あらゆる町や村に、人びとの心のより所となる、教会がありました(※)。そして、教会には必ず鐘楼(鐘が備えつけられた塔)が備わっていたので、中世社会のあらゆる町や村に、鐘があったことになります。

※教会がどの町や村にも、必ず備わるようになった背景には、初期中世の統治体制がある。当時は、教会を拠点として、その地域の管理が進められた。詳しくは以下記事を参照。

一般の人びとにとって、とくに馴染みがあった教会の音は、朝・昼・夕に鳴る、「アンジェラスの鐘(英:Angelus、ラテン:Angel)」です。この鐘が鳴りはじめると、中世の人びとは作業の手を止め、祈りを捧げました。とくに、夕方の鐘の音は「晩鐘」として知られ、地域によっては、今でも祈りの慣習が残っています。

ミレーの《晩鐘》。夕方の鐘の音にあわせて、祈りをささげる農民たち。このような風景は、つい最近まで当然のように見られた。

修道院の祈りと鐘のサイクル

とはいえ、一日3回の祈祷は、一般人向けに簡略化されたものでした。聖職者、とくに修道士の場合には、一日のうちに、これより多くの祈祷を行っていました。

具体的には、中世修道院における一日は8つの時間帯で区切られ、その時間帯の切れ目ごとに、祈りを捧げる傾向にありました。この8つの区切りを「時課」と呼びます。

それぞれの時課が、だいたい何時ごろに該当するかを、まとめたものが以下です。

時課時間の目安
朝課(ちょうか)夜中(2-3時頃)
賛課(さんか)日の出前、空が明るくなる頃(5-6時頃)
一時課(いちじか)
※賛課と役割がかぶるので、中世後期~近世にかけて徐々に廃止
6時
三時課(さんじか)9時
六時課(ろくじか)12時
九時課(くじか)15時
晩課(ばんか)日没頃(18時頃)
終課(しゅうか)夜(20-21時頃)
中世のローマ・カトリック教会における時課

聞いたことある人も多いんじゃないかな? ウンベルト・エーコによる中世修道院ミステリー、『薔薇の名前』を読んでいるとでてくる概念だね!

修道院における鐘はしばしば、これら時課の祈りのタイミングで、鳴らされていました。よって多い修道院では一日に7-8回、祈りのための鐘を鳴らしていたことになります。

たしかに、一日の祈祷回数や、鐘を鳴らす回数については、地域によってさまざまでした。とはいえ、修道院は信仰生活に重きを置く施設なので、一日に鐘を鳴らす回数は、庶民向けの3回より多いのが通常でした。

都市の鐘:市民生活を動かす「合図」

都市で一般的な鐘のサイクル

教会や修道院は、すべての祈りの鐘を、外部に届く音量で鳴らしたわけではありません。しかしどの地域でも共通して、一般の人びとに聞こえるように、大きく鳴らされた鐘がありました。それが一日に3回鳴らされる、アンジェラスの鐘です。

アンジェラスの鐘、すなわち朝・昼・夕べの鐘は、だいたい以下の時間に響きました4。これらは、ローマ・カトリック教会の時課における「賛課(一時課)」「六時課」「晩課」と、おおむね対応しています。

  • 朝の鐘:6時頃
  • 昼の鐘:11-12時頃
  • 夕べの鐘:18時頃

中世都市における人びとの生活は、この鐘の音を起点に回っていました。具体的には、多くの都市では、朝の鐘は労働開始の合図でした。また、夜の間に閉ざされていた市門が開き、都市の内外を行き来できるようになる、合図でもありました。

反対に夕べの鐘は、それ以降に労働をしてはいけない合図でした。なぜなら、日が沈んで以降も作業するとなると、「火」を光源にしなければならないからです。そして、不特定多数の人が火を使う行為は、都市の大敵だった、火事のリスクを高めました。よって多くの都市では、夕べの鐘が鳴って以降の労働を、基本的には禁じていました。

夕べの鐘はまた、子供が寝床に入る目安でもあり、分別のある大人が、それ以降の外出を控える合図でもありました。なぜなら、夕べの鐘が鳴って以降は「夜」で、悪魔などのあらゆる悪しきものがはびこる時間帯だったからです。このあたりについては、その考え方の背景も含めて、以下記事でまとめています。

たいていの中世都市では、夕べの鐘は2回鳴らされました。1回目は18時頃に鳴らされる、日が暮れたことを知らせる鐘で、2回目は夏は21時、冬は20時頃に鳴らされる、本格的な夜が始まることを告げる鐘5です。後者の鐘は、ローマ・カトリック教会の時課における「終課」とも対応します。

この夕べの第二の鐘は、大人が就寝する目安である他に、以下の合図でもありました。

  • すべての居酒屋営業の終了
  • 夜警(※)による見回りの開始
  • 市門の閉鎖

市門の閉鎖について、夜の間に、町を外界と遮断することは、治安維持のために必要なことでした。言い換えると、都市当局はあらゆる門を閉ざすことで、闇に乗じて、外敵や悪しきもの(人とは限らない)が入らないようにしていました。市門が果たした役割について気になる方は、以下記事を参照ください。

※夜警について気になる方は、中世ヨーロッパにおける夜の暮らしを参照。

この鐘が鳴って以降は、何人も出歩いてはならず、公務などのやむを得ない理由で戸外を出歩くときには、明かりの形態が義務付けられていました6。つまり、この鐘が鳴って以降に出歩くとしたら、夜警に疑われ、現代でいう「職質」を受けることを、覚悟しなければなりませんでした。

中世期の「明かり」にどのようなものがあったか気になる方は、以下記事を参照ください。

用途に応じた鐘たち

1490年頃のストラスブール大聖堂(フランクフルト)

都市などの大きな共同体では、「知らせる内容」に応じて、複数の鐘を持っていることが一般的でした。

例えば、かつてフランクフルトのストラスブール大聖堂では、鐘楼内部に10個の鐘がありました。

そのうち、上4つを市民生活に使い、下6つを教会行事に使うという、目的に応じた使い分けがありました。それぞれの鐘をさらに詳しく見ると、「警鐘」「時報鐘」といった、用途に応じた名前がついています。つまり、火災や敵襲などの合図には「警鐘」を使い、朝・昼・夕などの時報の合図には「時報鐘」を使っていた、ということになります。

以下は、グライフスヴァルトにおける、居酒屋の閉店時刻を告げる鐘に、刻まれた碑文の例です。その役割からすると、夕べの第二の鐘として用いられてきたと考えられます。

夜警鐘、とわしは呼ばれておる、
酒浸りの兄弟たちで、わしを知らぬ者はない、
酒場の主人よ、わしの鳴りひびく音が聞こえたら、
家に帰るよう、客たちを放り出せ。

グライフスヴァルトのマリア教会にある、1567年製の鐘に刻まれた碑文。
パウル・ザルトーリ『鐘の本』吉田孝夫訳、八坂書房、2019年、251頁。

都市に鐘が複数ある場合には、それぞれ音の響きが異なりました。というのもそれらの鐘は、同時期に製作されたわけでも、同じ鋳型にはめてつくられたわけでもないからです。後述するように、鐘は人びとにとって単に「音を鳴らす道具」ではなく、ある種の崇敬を抱かれる対象でした。そのため一つ一つの鐘には、制作の過程でもこだわりが込められていました。

よって人びとは、自分たちの故郷で鳴り響く鐘の音を、聞き分けることができました。そして、①「どの鐘がなっているか」、②「どのような鳴らし方がされているか」の2点から、その鐘の音の意味を理解することができました。

簡単な例だと、火災を知らせる際には多くの都市で、①警鐘が、②カンカンカンカン、と素早く力強く鳴らされました。すると人びとは「早鐘が鳴っている」などと言って、警戒態勢に入りました。

また別の例だと、死者を弔う際に、①男性の場合には大鐘、女性の場合には中鐘、子供の場合には小鐘を用い、②男性の場合には三度、女性の場合には二度、子供の場合には一度鳴らす、といった風習のある都市があります7。すると人びとは、鐘の音と鳴らし方だけで、死者の年齢と性別をおおまかに知ることができました。

ヴェネツィアのサン・マルコ広場に立つ鐘楼。16世紀に建てられた都市自治体のもの。

市民の鐘は、フランクフルトの例のように、教会の鐘楼に備わっている場合もあります。しかし都市によっては、聖職者との競合を避けるため、都市自治体による独自の鐘楼を持っていました8

そのような鐘楼はたいてい、市庁舎や商館、市門に備わっていたり、それらの建物に隣接して備わっていたりしました。例えば、上図のヴェネツィアの鐘楼は、市庁舎に隣接して建てられています。

教会から独立した鐘は、市民の自治権の強さを象徴するものでもありました。その理由は以下記事にまとめています。

鐘が持つ力

これまで、中世ヨーロッパにおける鐘の文化を、教会と都市、それぞれの視点でたどってきました。ここからは、「鐘の音」「鐘そのもの」の二つの視点から、鐘に付与されてきた超自然性について考えます。この点を押さえると、鐘が現在に至るまで、人を魅了してきた理由をうかがい知ることができます。

鐘の音が持つ力:守護と恩寵

じつは、鐘の音に超自然的な力があるという考えは、鐘が教会に採用される以前、さらに言えば鐘がヨーロッパに伝来する以前から存在しました。鐘の発祥はアジアとされ(なかでも中国という説が濃厚)、ヨーロッパにおける鐘の記録は、6世紀のイタリアで初めて登場します9

最も古くから存在すると考えられる、鐘の音による効果は「魔除け」です。

大きな音を立てると、悪霊が驚いて逃げていく、あるいは悪霊を無害化できる、という考えは、世界各地でたいへん古くから存在します。よって人びとは、悪しきものの活動が活発になる時に、さまざまな手段ーー手を叩く、大声を出す、角笛を吹く、太鼓を叩くなどーーを用いて、悪を追い払ってきました。

大きな音を立てると、恐いものが逃げていく、という考えは、人間と動物との関わりのなかで生まれたんじゃないかな。動物は基本的に、大きな音を立てると、音に警戒して逃げていくからね。

このような背景を踏まえると、「大きな音を響かせる」特性をもった鐘に、魔除けの効果が期待されてきたのは当然でした。加えて、鐘(あるいは鈴)は、なにか人間の耳に心地よい、澄んだ音色をもたらします。よって、単に悪の力を減退するだけでなく、神聖な力による恩寵を高めるものとしても、捉えられてきました。例えばヨーロッパの各地には、豊饒や健康に対するよい効果を期待して、鐘を鳴らす風習があります。

日本でも、「鈴」は魔除けの道具かつ、神聖な道具としてよく知られているね。神社などの神聖な場所で用いられることも多く、巫女さんの神楽では、手振り鈴を使うね!

つまり人びとは、鐘の音に「守護」と「恩寵」という、二つの大きな効果を期待してきました。ここでは例として、守護から派生し、ヨーロッパで広く信じられてきた鐘の効果、「嵐除け」を詳しく紹介します。

古くには、嵐が起こる原因は、雲の間に潜む妖魔が悪さをしているからだと考えられていました。このような、超自然的な存在に、物事の原因を帰結する思考プロセスは、前近代ではごく自然でした。その理由は以下の記事で紹介しています。

そこで嵐の原因となっている妖魔を驚かせ、追い払うために、人びとは鐘を鳴らすようになりました。なお嵐に限らず、天候が悪い(激しい雷雨、大風、霧、鉄砲水、落石など)ときにはいつも、悪魔や魔女の悪さが背景にあると考えられてきたので、そのようなときにも鐘は鳴らされます。

嵐は、前近代の人びとの生命を、直接脅かし、不安にさせる現象だったため、鐘に対する嵐除けの期待は、大変高いものでした。よって、嵐除けだけを目的にした、専用の「嵐除けの鐘」を保持している地域も多いです。

日本でも、雷雨は「鬼」が引き起こすという、古くからの通念があるね。日本における「鬼」や、ヨーロッパにおける「悪魔」は、「悪しきもの全般」が結集された概念とも言えるよ。

そう考えると、「悪しきものが悪天候を引き起こす」という考えが、日本とヨーロッパで共通していて面白いよね!

鐘そのものが持つ力

鐘には、その「音」だけに超自然性があるのではありません。人はしばしば、「鐘そのもの」に対しても超自然性を認めてきました。例えば日本では、弥生時代に作られたものとして青銅製の鐘がいくつも出土しており、これらは祭器、つまり超自然性を示すシンボルとして用いられてきたとの見方が一般的です。

キリスト教文化圏においても、古くから鐘そのものに対する、崇敬の文化があります。

ローマ・カトリック教会に納められる鐘には、使用の前に、①奉献と②名づけの儀式を行います。この儀式は、通称で「鐘の洗礼」と呼ばれることもあります。鐘の奉献の儀式が、赤子の洗礼と似ているからです。

ただし、生命を持たない物体に「洗礼」を施すことは、教会的にはNGなので、厳密にいうと洗礼ではありません。とはいえ、これから聖なる職務を担う鐘を、祝福する儀式であることには変わりないので、「鐘の洗礼」という呼び名は、一般の人びとによって、長らく使われてきました。

「鐘に<洗礼>を施してはいけない」という禁令は、早くも789年に、カール大帝によって出されているよ。そのころから「鐘の洗礼」問題がるんだね。

奉献された鐘は、しばしば神や聖人そのものの代理としてみなされ、崇敬されてきました10。例えば、鐘の音が鳴りはじめると、帽子を取って鐘への敬いを示す風習は多くの地域に見られます。また、鐘が壊れるなどして、新しいものに取り換える際に、古い鐘を構成していた部品や欠片に、ご利益を見出して大切に保管する風習も一般的です。

まとめ|鐘の多彩な機能

ボルドーの市門と大鐘。現在の鐘は1775年に鋳造されたもの

最後に、鐘に多彩な機能があった例として、ボルドーの「大鐘」を紹介します。市門を兼ねたこの鐘楼は、教会から独立した都市独自のものとして、15世紀に建てられました。その碑文からは、大鐘がどんな時に、何を目的に音を鳴らしてきたのかを、うかがい知ることができます。

わたしは武器をとれと告げ
日を知らせ
時刻を与え
雷雨を追い払い
祝祭に鳴り
火事に叫ぶ

ボルドーの大鐘の碑文

この例からも分かる通り、ヨーロッパの人びとにとって鐘は、多彩な機能を備えたものでした。本記事にて紹介してきた鐘の機能を、以下に整理します。

  • 招集の合図
  • 祈りの合図(祈りを深める音の調べ)
  • ある生活サイクルを始める、あるいは終える合図
  • 警報
  • 守護(魔除け、とくに嵐除け)
  • 恩寵(豊饒や健康)

鐘の音がつくる「帰る場所」

今回は、中世ヨーロッパの鐘をめぐる文化を紹介しました。

中世ヨーロッパにおいて、鐘は単に、時間を知らせるだけの道具ではありませんでした。祈り、暮らし、災いへの備え――そのすべてに寄り添い、人びとの日常と結びつく存在でした。だからこそ鐘は、人びとの「故郷」としていつまでも記憶され、敬われ、愛されたのです。

鐘の音が日常に溶け込んでいたように、中世の暮らしには、仕事と生活を分けない感覚がありました。人びとは、働くことと生きることを、同じ流れの中で捉えていたのです。そのような生き方については、こちらでも詳しく書いています。

参考文献

  1. パウル・ザルトーリ『鐘の本』吉田孝夫訳、八坂書房、2019年、128-129頁。 ↩︎
  2. ハンス・ビーダーマン『図説 世界シンボル事典』藤代幸一監修、八坂書房、2019年、109頁、「鐘」の項。 ↩︎
  3. 同書、110頁。 ↩︎
  4. 朝・昼・夕の鐘の時間目安については、ロベール・ドロール『中世ヨーロッパ生活誌』桐村泰次訳、論創社、2021年、77頁の訳注を参照。 ↩︎
  5. 阿部謹也『中世の星の下で』ちくま学芸文庫、2023年、249-250頁。関連事項として、前掲書、ザルトーリ、250-251頁。 ↩︎
  6. 前掲書、阿部謹也、251頁。 ↩︎
  7. 前掲書、ザルトーリ、197-200頁。 ↩︎
  8. 前掲書、ザルトーリ、249-247頁。 ↩︎
  9. 前掲書、阿部謹也、247頁。 ↩︎
  10. 前掲書、ザルトーリ、72頁。 ↩︎

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