西洋ファンタジー風の人物絵を描くときに、参考となる知識をインプットしよう! という目的で、西洋の服飾について記事を書いています。史実上の姿を踏まえた上でアレンジが加えられるように、形状や素材など、できるだけ具体的に記載しています。今回はルネサンス初期(15世紀頃)の女性の服飾についてです。
過去に公開した服飾シリーズは以下です。
※主に丹野郁の『服飾の世界史』(白水社)を参考にしています。
時代背景
ルネサンスとは、14-16世紀にイタリアで始まり、西洋各地に広まった、芸術・思想上の新しい動きのことです。古代ギリシア・ローマ文化を模範としながら、キリスト教の神を中心とする生活から、人間を中心とした生活への転換が模索されました。その点でルネサンス期は一般的に、近世のはじまりを告げる時代とされています。
ルネサンス期の基本的な思想は、人間のありのままの姿を肯定する、ヒューマニズム(人文主義)です。中世期において、芸術は(娯楽のためではなく)神への賛美や信仰のためにありました。しかしルネサンス期には、芸術は人間のためにありました。具体的には、絵画にキリスト教に無関係のモチーフや、人間の裸などが肯定的に描かれました。
ルネサンス期は、それまでの禁欲主義から脱し、享楽寄りになる点で、人びとの思想上の大きな転換期となりました。言い換えると、精神的な解放の時代でした。
※中世期の特徴については、「中世ヨーロッパはいつからいつまで? 特徴も解説」を参照。
※絵画表現の変遷については、「絵画から知る西洋の中世と近世の違い」を参照。
中世期のゴシック時代は13-15世紀、ルネサンス期は14-16世紀とされます。つまり、時代がかぶっていることになります。両者の特徴が共存する期間がしばらく続き、徐々に人々の思考がルネサンス的に変化していった、と捉えるのがよいでしょう。
ルネサンスはイタリアから始まりましたが、都市単位で国家としての活動力がなかったため、最終的には、フランスを地盤として栄えました。理由としては、地理的条件に恵まれていたこと、芸術的に優れた感覚を備えていたことが挙げられます。のちにフランスが西洋の服飾界で中心勢力となったのも、ルネサンス文化が栄えていたことが、いち要因としてあります。
当時フランスでは、流行ファッションの紹介のために、美しく着つけた人形を、西洋各地に送るという方法をとっていました。この文化は、14世紀頃にスペインのイザベラ女王が、フランスの流行服を着飾ったたくさんの人形を集め、これをイギリス女王に贈ったことが起原だといわれています1。17-18世紀には、これらのモード・フランス人形が、フランスの衣装紹介のために重要な役割を果たしました。
【ひとこと】
現代では、流行ファッションの普及に雑誌が使われるが、当時は印刷技術が発展していなかったため、人形が使われていた。お姫様たちが、自室にさまざまな服をまとった人形をコレクションしているのを想像すると、かわいくてほっこりする。
ルネサンス初期の服飾概要
本記事での「ルネサンス初期」は15世紀頃を指します。世紀数字だけを見ると、ゴシック時代末期と表現しても問題ありません。しかし、ルネサンス的な特徴が服飾に現れている点で、ゴシック時代とは別に分類したいと考えました。参考にしている丹野郁氏の本でも、ルネサンス初期という分類があります。
ルネサンス初期の女性服飾の特徴は、従来より性的な魅力を強調している点です。具体的には、以下の特徴があります。
- 肌の露出面積が多くなり、胸元と背中が見えるようになる
- 身体の線を強調するために、袖から胴にかけての布の量感がなくなり、身体にぴったり沿うようになる
- 胸と腰に詰め物をして張りがつくられる
- ベルトの位置は腹回りではなく胸下になり、胸を大きく脚を長く見せる効果を出している
全体的なバランスを見ても、近代までつづくドレススタイル(上半身が身体の線にぴったり、下半身がボリュームたっぷり)の萌芽といえる特徴を持っています。
このようなスタイルになった背景として丹野氏は、人びとの精神的解放が行われたことで、男性から見た場合の女性が、より享楽の道具として映るようになったことを挙げています。
ルネサンスは、男性にとっては、たしかに勝利であった。しかし、それは、女性にとってはけっしてそうではなかったのである。因襲的な殻の中に残された女性は、男性の束縛と、従来通りの低い地位に甘んじなければならなかった。そうした社会にあっては、女性が男性のために着飾り、男性の意欲によって服飾が左右されるということが無意識のうちに行われているものである。官能的になったルネサンス時代に、女性がいっそう享楽の道具と化したことも当然である。
丹野郁『服飾の世界史』白水社、1985年、162頁。
これまで中世期から順に、服飾の変化を見てきました。すると、縫製技術の進歩によって、服飾の性差が近世期(ルネサンス初期)に顕著になったことが分かります。男性の保護が必要な社会においては、男性に気に入られていたほうが、女性は労力をかけずに生きることができます。よって女性の服飾が、男性から見て魅力的に映るスタイルになっていくことは道理だと思います。
ポイントは「無意識」のうちにそうなっていく、という部分だと思います。19世紀頃まででは、西洋の女性の社会的地位は今よりずっと低い状況でした。そのため女性が、自分のために美しく着飾っているようで、実は男性に好意的に映るように着飾っているということが、ままあったのでしょう。
ルネサンス初期の服飾について、素材面での変化は、例として以下が挙げられます。
- フィレンツェの名産品ラシャが流行(模様は草花等、自然のもの)
- 従来よりデザイン性のあるビロードが流行(金糸が織り込まれたもの、二色以上による模様織、より光沢のあるもの等)
- レース編みの誕生
- 白絹製の下着の登場(透けてエッ……肉惑的なものも現る)
- 毛皮、宝石がふんだんに使われる
ルネサンス初期の服飾は多種多様で、すべてを挙げることはできません。次章からは、フランス貴族の一般的な服飾の例を挙げます。ルネサンスはイタリアから始まったため、ルネサンス盛期に通じる、イタリア服飾例も一部挙げます。
また、次に紹介するような服装の人しかいなかったわけではなく、地域差や身分差によってさまざまな違いがあったと推測されます。
基本の4パーツ
ルネサンス初期の女性の服パーツは、以下の4つに大きく分けられました。順番に紹介していきます。
- シュミーズ(下着)とショース(靴下)
- コルセ(従来の室内着を指す場合と、整形着を指す場合があるもよう)
- ウプランド or ローブ(シュールコーに代わって着られるようになった服)
- 外套
シュミーズ(chemise)とショース(chausses)
従来より着用されている下着がシュミーズ、従来より着用されている靴下がショースです。この2セットは外からは見えない下着として引き続き着用されます。
ルネサンス初期は、女性的魅力を引き出すために、小さい足が好まれました。そのためショースは小さく仕立てられ、その中へ足を無理に押し込めることが上品とされました。素材は毛織物でした。ショースの上端は、バックルと留め金付きの、布製靴下留めによって、膝上か膝下で支えられました。
シュミーズは丈が長く(すね丈 or 足首まで)、大きい衿ぐりとややゆったりとした長袖をもっていました。両わきには縫い目があり、腰の張りを出すために、詰め物されたクッションがついていました。胸の張りについては、シュミーズの上から麻布のバンドを巻くことで調整しました。
シュミーズの素材は元来、白麻でしたが、この頃には刺繍された白絹製のものが、貴婦人向けに登場します。身体が透けて見える、肉惑的なシュミーズも登場しました。
コルセ(corset)
この時代のコルセの定義は難しく、①従来のコットを指す、②胴回りの整形着を指す、③シュールコーを指す(コルセ・トゥヴェール corset ouvert)場合などがあるようです。
本記事では単純に、「胴回りが編み上げ状になっているコット(室内着)」と捉えることにします。編み上げ状になっているので、身体のラインを整形する効果があります。
この場合のコルセは、胴と袖がぴったりとしていて、ゆるやかな長いスカートがついています。スカートの丈は膝上くらいまでで、その下からシュミーズがのぞきます。衿ぐりは大きく、前中心が胴下まであいていて、紐閉じするようになっています(上図のラベンダー色のコルセを参照)。
シュミーズ+コルセのセットは、農婦にも着用されました。それはゴシック時代の記事でも紹介しました。
紐閉じをする点で、コルセは民族衣装の「ディアンドル」の原型ではないかと、個人的に考えています。ディアンドルは、『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』に描かれた農婦の服装にそっくりです。このような前中心で紐閉じする胴着を、現代では「ボディス」と呼びます。
ウプランド(houppelande)/ローブ(robe)
コットやコルセの上に着用された、外出用の衣服として、14世紀末にウプランド(houppelande)が登場します。ウプランドの最たる特徴は、袖が非常に幅広く、床まで達することです。身ごろもがたっぷりとしていて、裾も長く、胸下で太めのベルトをぴったりと締めて着用します。ベルトを胴の高い位置で締めることで、ウプランドの特徴である美しい袖がきわだちました。
織物技術が発展したことに伴い、美麗な布をたっぷり用いる、このような服が現れたと思われます。布地の例として、錦織に朱と緑と青で模様が織りだされ、花模様の中心にはダイヤモンドが光り、ところどころにルビーがあしらわれる、といったものがありました。
素材にはサティン、ヴェロア、毛織が用いられ、裏地には、貂や白毛皮が用いられました。ウプランドには、立衿で首元が隠れるタイプと、衿が肩辺りまで広がったタイプがあります。1460年頃まで着用されました。
ウプランドのスタイルに、ベルトは欠かせないものでした。胴を締めるためだけでなく、ファッションのアクセントとしても重要視され、高価なものが好まれました。具体的には、刺繍がほどこされたり、宝石で飾られたりしていました。ベルトは後ろ中心でバックル留めされ、残りはたいてい、後ろに長く垂れていました。
1430年頃から、ローブ(robe)と呼ばれる衣服が登場します。初期のものはウプランドとほぼ同じですが、以下の点で異なります。
- 衿元がV字に大きく裂けて、ヴェロアや毛皮による逆三角形の衿がついている
- 従来より腰回りのゆとりがなく、すっきりしている
胸元を大胆に見せる点で、近代的ドレスへの近づきを感じさせるデザインです。胸元の明きは、三角形の別布で覆ったり、下着の衿元をのぞかせたりしました。ローブの丈は、長く裾を引くものが多いです。
1460年頃に、ウプランドが流行から追いやられた一方で、ローブは形を変えながらさかんに流行しました。この頃のローブは、身体の線を表すために、袖から胴にかけての量感がなくなり、ぴったりとしています。
衿は前後ともに三角形に裂け、背中側はウェストまで肌が露出するようになります。スカートの量感は従来と同様にたっぷりしていて、丈は長く、一般的に引き裾がついています。
素材には、錦織や絹の他に、当時流行したビロードもさかんに用いられました。
マントル(mantel)
マントルについては、従来から目立った変化はありません。主に、衿元を閉じたゆるやかなシャプや、衿元が飾り紐で支えられたものが用いられました。素材には、ヴェロアや金糸織などの高価な布地が用いられました。夏物としてセンダルやタフタの裏がついた薄手のマントもありました。
髪形とかぶりもの
14世紀から流行した髪形は、ゴシック時代女性編で記載した通り、髪を中央で分けて三つ編みにし、両耳のところで”まげ”をつくるものでした。この頃になると、その基本型にさまざまなアレンジが加えられます。
例えば、飾り網で”まげ”を完全に覆う髪型が、15世紀を通じて見られました。飾り網は主として金属の細線でつくられ、その交差点に真珠や宝石がつけられました。飾り網を用いる場合には、飾り冠がつきものでした。
ルネサンス初期の服飾で特徴的なものは、詰め物されたかぶりものです。ゴシック時代男性編にて、プールポワンに代表される、詰め物された衣服が流行したことを記載しました。それがかぶりものにまで及び、趣向を凝らしたさまざまなかぶりものが登場します。例えば、ターバン状のロールが結髪の形にそっておかれたもの、飾り紐が組み合わされたものなどです。
キリスト教の掟として、中世期を通じて着用されていたヴェールが、凝った髪飾りやかぶりものの出現によって、この頃になると装飾として小型になりました。一方で、未亡人はバルベットであごから衿元を覆う習慣でした。
15世紀で最も特徴的なかぶりものは、エナン帽(hennin)です。ゴシック様式の鋭角的感覚が現れた、頂が尖った帽子のことです。尖頭が途中で切れているタイプもあり、いずれも薄いヴェールでやわらかく覆われています。
エナン帽は、エナン夫人の考案によると言われ、フランスで誕生するや、ゴシック調のかぶりものの王座を占めました。奇抜なエナン帽は、哲学者や道学者に非難され、これをかぶる婦人たちが動物や鬼に例えられるほどでした。ところが形状はさらに奇抜になり、帽子の高さが1メートルにおよぶもの、ヴェールが床まで達するものまで現れました。エナン帽は、衣服全体がルネサンス様式に置き換わる、1500年代まで流行しました。
【ちなみに】
当時は、額を大きく出すことが美しいとされました。そのため、ぴったりした帽子をかぶるときには、衿元、額、こめかみなどの毛はすっかり抜きとるか、剃る習慣でした。そのような観点で改めて当時の絵を見ると、女性は頭のかなり後方までつるつるですね。
額の中央に見えるループは、帽子の一部です。一説によると、高い帽子が後方にずれたときに、前の方にひきよせる用途でついていたと考えられています。
イタリアの服飾
ルネサンスの発祥地であるイタリアでは、服装の面でも他国より早く変化が現れました。具体的には、両わきが開いた袖なしガウンや、袖の裂け目からシュミーズをパフとして浮き上がらせる服が現れました。
ルネサンスの特徴は、まず袖に現れました。その代表例が、袖に裂け目を入れて、下に着ているシュミーズをパフとして浮き上がらせるものです。このスタイルは16世紀になってさかんに流行しました。
【ひとこと】
このスタイル、近世期のラグーザ共和国(現クロアチアのドゥブロブニク)を舞台にした歴史漫画、『フローラの白い結婚』で出てくる服です!漫画のサイトはこちら。時代考証がしっかりしていて、物語としても面白いです。
15世紀のイタリア絵画を見ると、髪形が単なる”まげ”ではなく、背中にひと房垂らしたり、三つ編みの束を複数組み合わせたりと、より複雑で華麗になっていることも分かります。イタリアの女性たちは、帽子を使わず、髪の毛でナチュラルな美を表現することを好んだのでしょう。よく見ると、パールや網や紐などの髪飾りを多々使っています。
【ひとこと】
個人的にあれもこれもまんべんなく好きになるタイプなので、特定の好きな画家はいません。しかし強いて挙げるとしたら、ボッティチェリは一番好きな画家だと思います。好き度合いがかなり高いです。
おわりに
今回は、ルネサンス初期(15世紀頃)の女性の服飾について紹介しました。
ルネサンス初期の女性服飾の特徴は、従来より性的な魅力を強調している点でした。例えば、衿が胸元まで大きく裂けたこと、胸や腰に詰め物をして張りを出したことなどを紹介しました。このようなスタイルになった背景は、人びとの精神的解放がなされ、神中心の生活から、人間中心の生活へと移行していったからです。とくにこの頃登場したローブは、近代的なドレスへの近づきを感じさせるデザインです。
加えて、布地や装身具の模様に、天然の葉や花がそのまま模写され使われた点も、特徴的です。それまで、服飾の模様といえば宗教的モチーフか、家紋でした。見て美しいと感じたものを、そのまま服飾に取り入れる点は、非常に人間らしく、ヒューマニズムが開花したルネサンス期らしいです。
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服飾についてまとめはじめたきっかけは、創作の際に解像度が上がるからでした。ところが、服飾は時代を反映するため、思いがけず非常に勉強になっています。どんな分野の勉強も最終的には、人間や世界を理解することに繋がるのだなと思いました。
お気づきかもしれませんが、服飾シリーズの回を重ねるごとに、オリジナル絵が丁寧に、かつ、うまくなっています(笑)。今回は、近世のはじまりとなる服なので、布の光沢感を出したいと思って、中世期には入れなかったハイライト(明るい色)まで入れてしまいました。
ちなみに、ゴシック時代男性編で途中経過をのせた、ロマネスク時代っぽい女の子の絵は完成しました(下図)!次に出店を予定している文学フリマで、画集を販売予定のため、コツコツ絵を描き溜めています。
服飾シリーズは、今回でおしまいにしようと思いましたが、以下の記事を書く過程で、東ヨーロッパのビザンツ帝国についてもっと勉強したくなりました。なので、そのうちビザンツ帝国の服飾編を書く予定です。
皆さんから好評いただいているおかげで、大変はげみになっております。いつもありがとうございます! これからも楽しく分かりやすく、歴史文化を学べる記事を発信していきます。
以上、お読みいただきありがとうございました。
参考文献
- 丹野郁『服飾の世界史』白水社、1985年、160頁。 ↩︎