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中世ヨーロッパの酒:ワインとビールだけではない多様な飲み物

中世ヨーロッパの酒といえば、ワインやビールを思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし実際には、地域や身分によって飲まれる酒は大きく異なり、多様な広がりを持っていました。

本記事では、中世ヨーロッパにおける酒の種類とその特徴を整理し、当時の人びとがどのように酒と関わっていたのかを見ていきます。

目次

中世ヨーロッパにおける酒の全体像

なぜ酒が必要だったのか

絵の右側に並ぶ商品がワイン。ワインは樽で保管・販売された。The Hague, MMW, 10 A 11 fol. 253v Book 5, 15(参照元:https://manuscripts.kb.nl/)15世紀後半。

中世ヨーロッパの人びとは、日常的に酒を飲んでいました。その理由を考える上では、①酒に衛生性と保存性があったこと、②酒に栄養があったこと、などが重要になります。

前提として、中世ヨーロッパにおける基本の飲み物は「水」でした。水はさまざまな場所から確保することができ、上質だと考えられていたものから順に、鉱水、雨水、川の水、泉の水、井戸の水、池の水がありました1

たしかに水は、最も一般的で、万人が入手しやすい飲み物でした。しかし衛生面や保存面の観点から、水以外の飲み物が選ばれる場面もありました。例えば、中世期の航海では、酒は水と並んで日常的な飲み物2であり、その背景の一つには、鮮度の落ちた水に対する、腐敗の懸念があったと考えられます。

酒は、種類によっては、エネルギー摂取の目的で飲まれていました。例えば、大麦からつくられる酒に、セルヴォワーズがあります。その酒は、その大部分がにごっていて濃厚だったことから、パンを補う栄養として、飲まれるというより「食べられて」いました3

身分と地域による酒のちがい

中世ヨーロッパでよく飲まれていた酒は、身分や地域によって異なりました。

この時代に、身分の高い人に最も好まれていた酒は、ワインでした。しかし、ワインの原料となる葡萄の栽培には、地中海沿岸をはじめとする、温暖な気候が適しています。よって、ヨーロッパの北に行くほど、ワインを自家生産することは難しく、南から輸入するにしても、輸送費や人件費が上乗せされるため、購入費が高くつきました。そのため、北の貴族たちは、蜂蜜を原料とするミード(蜂蜜酒)も、ワインと同様の、高級な部類な酒として飲んでいました。

庶民が飲んでいた酒の種類は、その地域で収穫できる、酒の原料に左右されました。つまり、葡萄が栽培できる場合には、自ら栽培した葡萄を、ワインにして飲むのが一般的でした。そうでなければ、大麦・小麦や、葡萄以外の果実から、酒をつくって飲んでいました。

酒の製造と販売には、大きなお金が動くため、領主にとって軽視できない税収の一つになっていました。ゆえに領主がお金の流れを把握しやすいよう、醸造権は、共同体によっては、居酒屋にのみ与えられていました。その場合には、庶民は自家製の酒をつくることができず、居酒屋が生産した酒、多くの場合にはビールを購入して飲んでいました。

居酒屋が庶民にとってどんな場所だったかは、以下記事で紹介しています。

アルコール度数や飲み方

中世期に常飲されていた酒は、現在の酒より、基本的にはアルコール含有量が少なめでした。

他の飲み物と比べたときの、酒の特徴は「酩酊感」をもたらすことです。その不思議な感覚をもたらしてくれるからこそ、酒は古来、神々の力と結びつけられたり、祭事に使われたりしてきました。よって基本的には、もたらしてくれる酩酊感が強ければ強いほど、「酒」としての価値は高くつきました。

ところが、中世期に採られていた手軽な醸造方法では、そのような強い酒は「高品質」なものでした。つまり、流通量が少なく、価格も高いため、庶民には手が届かないしろものでした。よって、多くの人に日常的に飲まれていた酒は、それよりもはるかに質が劣り、アルコール含有量も少ない酒でした。

例えば、トゥールーズのある学寮では、毎日飲まれる酒といえば、自家製の葡萄でつくる質の悪いワインか、葡萄のしぼりかすに水を加えて発酵させた「ピケット」でした4。ピケットはまた、奉公人の飲み物としても一般的でした5

多くの農民にとっても、自分で酒をつくることは一般的でした。そのような酒は、保存が効かない(アルコール含有量が少ない)ため、どこかで売るということはなく、家庭内で消費されました。質の悪いワインを水で割って飲むこともしばしばあり6、そこまでアルコールが薄まったならば、それは「ワイン」というより「葡萄水」という感覚に近かったと考えられます。

ワイン|信仰と繁栄を支えた酒

ワインづくりのようす。『健康全書』より、14世紀。

ワインは、中世ヨーロッパを代表する酒です。それはこの時代の聖職者や王侯貴族に、最も親しまれていた酒でした。

この時代のワインには、とりわけ重要な役割が2つありました。ワインは第一に、王侯貴族の宴やもてなしに欠かせないものでした。第二に、キリスト教の信仰に欠かせないものでした。

ワインは、古代ギリシア・ローマ時代より、最も高貴で美味な飲み物として、王侯貴族の間で好まれていました。古代から培われてきた、ワインに対する畏敬の念は、神々のなかに「ワイン」を司る神ディオニソス(バッカス)がいることからもうかがえます。その文化は、中世期にヨーロッパの支配層となったゲルマン人にも受け継がれ、貴族の宴の場における飲み物は、ワインが基本となっていました。

ソミュールの城下における、葡萄の収穫のようす。
城を葡萄畑で飾ることは、諸侯の権威付けの一環だった。
『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』より、9月の絵、15世紀。

ワインはまた、キリストの血を象徴する飲み物として、肉を象徴するパンと並んで、ローマ・カトリック教会の礼拝に必要な要素でした。葡萄の生産と、収穫した葡萄からのワインづくりは、修道院における最も重要な仕事の一つとして位置づけられ、質のよいワインを生産することは、修道院の名誉につながりました。

このような、世俗支配層からの愛好と、宗教上の必要性を背景として、中世のワインに対する需要は、西ヨーロッパ全体で、常に高いものでした。よって、上質なワインを生産することと、販路を確保することは、経済的な繁栄をもたらす、一大ビジネスになりえました

例えば、港湾都市ボルドーは13世紀頃より、イングランド王権と懇意にすることで、その年はじめにイングランドで流通するワインを、他の競合に先駆けて、ボルドー市民が販売できるようにしていました7。この特権は1776年の王令で廃止されるまで続き、ボルドーが現在に至るまで、ワインの一大産地としての名声を得ることにつながりました。

ビール|庶民の暮らしを支えた酒

ビールづくりのようす。Hausbuch der Mendelschen Zwölfbrüderstiftung, Band 1. Nürnberg 1426–1549年。

ビールはワインに次いで、中世文化を形づくる上で重要な酒でした。おおまかに分類するなら、聖職者と王侯貴族に親しまれた酒がワインであるなら、庶民に親しまれた酒はビール(麦酒)でした。

もともと、ワインの嗜好が広まる以前に、ヨーロッパに暮らす人びとがよく飲んでいたのは、ビール(※)でした。具体的には、ローマ人より先にこの地に暮らしていたケルト人や、北欧に暮らしていたゲルマン人は、ビールを日常的に飲んでいました。8

※ここでいうビールとは、小麦を原料とするビールに限らない。広い意味での「麦」、すなわち大麦なども含む。

ところが、古代ローマ帝国の支配層だった、ローマ人がワインを愛好していたために、ワイン=高貴な酒、ビール=ローマ人から見て「蛮族」の酒、というイメージが定着していきます。その文化は、支配層がゲルマン人に代わった中世期にも受け継がれ、ビールは高貴でない人たちが飲む酒、すなわち「庶民の酒」というイメージになっていきました。

しかし、ホップによる品質の安定や、味の改良などにより、おいしさを増したビールは、中世の終わりまでに、ワインの地位を脅かすほどに、人びとに愛されるようになっていました。それは例えば、ドイツやチェコ地域において、都市の産業としてビール醸造が盛んだった9ことからも分かります。

ビールはもともと、家庭で簡単に醸造できる酒でした。しかし時代の変遷とともに、それが「お金になる」ビジネスになっていくと、個人の醸造は禁止され、醸造権をもつ組織(都市のビール醸造ギルドなど)のみに生産・販売が許されるようになります。

蜂蜜酒(ミード)|長い歴史をもつ酒

ミードは、北ヨーロッパを中心として、中世の人びとに飲まれていました。その特徴は、ワインやビールよりも長い歴史をもつという点です。

蜂蜜は、遅くとも紀元前4000年頃より、ヨーロッパ人に口にされてきた食べ物です。中世においては、砂糖に置き換わるまで、主要な甘味として使われていました。

この蜂蜜を原料とする酒は、ミードと呼ばれ、葡萄の栽培が難しい北ヨーロッパ、とくにスラヴやゲルマン文化圏において、古代から中世初期にかけて、ビールと並ぶ一般的な酒でした10。一部のゲルマン人の間では、ミードには神の力が宿り、人に不死と知恵をもたらす11と信じられていました。

中世の宮廷文学では、ワインと並んでミードも、貴族に飲まれる酒として登場します。加えて中世期には、組織的な養蜂がすでに行われていたものの、一度に採れる量に限りがあるため、蜂蜜は貴重品でした(※)。これらのことから、ミードは高級な部類の酒だったと考えられます。

※養蜂は蜜蝋燭の原料を得るためにも行われていたが、蜜蝋燭はたいへん高価で、貴族しか持てなかった。中世期に使われていた蝋燭については、以下記事を参照。

養蜂のようす。『健康全書』より、14世紀。

果実酒|地域ごとに広がる多様な酒

中世ヨーロッパには、葡萄以外の果実からつくられる酒もありました。

11世紀以降に、最もポピュラーだった果実酒は、りんごからつくられる酒、シードルです。りんごはヨーロッパで最も古くから食べられていた部類の果物で、日々の食事でも一般的に食べられていました。

シードルは中世末には、ビールと並んで、ワインの地位を脅かすほどに、人気を持つようになりました12。梨からつくられる酒はペリーと呼ばれ、これは梨の栽培に適した地域における、りんご酒の代わりのようなものでした。

葡萄の栽培が難しい、北ヨーロッパをはじめとする地域では、果実酒の文化がとくに発展しました。例えば、酒の原料になったものとして、(りんごと梨を除くと)スローベリー、さくらんぼ、黒苺、かりん、ナナカマドなどがありました。こうしたベリー類は、北ヨーロッパの森では自然に生えるものなので、人びとはそれを採集して使っていたと考えられます。

このように果実酒は、葡萄の栽培が難しい地域で、ワインに代わるものとして、身近な自然を利用してつくられた酒でした。

おわりに

今回は、中世ヨーロッパにおける酒文化の全体像を見てきました。

中世ヨーロッパの酒は、ワインやビールにとどまりません。その時代には、地域や身分によってさまざまな種類の酒が飲まれていました。

ワインは南ヨーロッパを中心に広く流通し、信仰や上層階級と深く結びついていました。一方で、北ヨーロッパではビールが日常的に飲まれ、人びとの暮らしを支える飲み物となっていました。さらに、蜂蜜酒(ミード)や果実酒なども含めると、中世の酒文化は想像以上に多様で豊かだったことが分かります。

酒だけでなく、中世ヨーロッパの食文化全体について知りたい方は、こちらの記事もご覧ください。

参考文献

  1. ロベール・ドロール『中世ヨーロッパ生活誌』桐村泰次訳、論創社、2021年、43頁。 ↩︎
  2. ブリュノ・ロリウー『中世ヨーロッパ 食の生活史』吉田春美訳、原書房、2003年、203頁によると、大西洋沿岸を航海する船の乗組員が消費するワインの量は、ひとりあたり一日3リットルに達することもざらだったという。 ↩︎
  3. 同書、52頁。 ↩︎
  4. 同書、223頁。 ↩︎
  5. 同書、44頁。 ↩︎
  6. ハンネレ・クレメッティラー『図説 食材と調理からたどる 中世ヨーロッパの食生活』龍和子訳、2023年、原書房、161頁。 ↩︎
  7. ロジェ・ディオン『フランスワイン文化史全書 ぶどう畑とワインの歴史』国書刊行会、福田育弘・三宅京子・小倉博行訳、2001年、343-356頁。 ↩︎
  8. 野村啓介『ヨーロッパワイン文化史 名醸地フランスの歴史を中心に』東北大学出版会、2019年、43頁、47頁。 ↩︎
  9. 西洋中世学会『西洋中世文化事典』丸善出版、2024年、「ワインとビール」の項、209頁。 ↩︎
  10. 同書、209頁。 ↩︎
  11. 前掲書、クレメッティラー、166頁。 ↩︎
  12. 前掲書、ロリウー、51頁。 ↩︎

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