【第4回】西洋絵画の特徴と楽しみ方:近代編

西洋絵画の楽しみ方を解説する連載、最終回です(全4回)。本連載では、絵を観ただけで、その絵が描かれた時代をおおまかに判別するヒントを紹介しています。時代背景を知ると、絵の見方のバリエーションが広がり、絵画鑑賞が楽しくなりますよ。

最終回である今回は、近代期(18世紀後半-20世紀)の絵画の特徴を紹介します。

目次

前回のふりかえり

前回の記事では、ルネサンス期以後の、近世期(17-18世紀)の絵画の特徴と楽しみ方を紹介しました。近世期の絵画の特徴として、最も押さえておきたい点は、風景画が確立した点でした。

そのほかの点も含めて、以下4点を挙げました。それぞれの点について、簡単にふりかえりをしていきます。

  • 風景画が確立
  • 商人をのぞく庶民の肖像画が誕生
  • スペインとオランダの黄金期が到来
  • バロック様式とロココ様式の絵画が流行

① 風景画が確立

西洋では17世紀頃に、風景画というジャンルが確立しました。それまでの人びとにとって、自然とは日常に当たり前に存在するもので、「美しいもの」というよりは、常に人間の住まいを脅かす「敵」でした。キリスト教の教えにおいて、自然が人間の征服すべき対象であることも、その考えに拍車をかけました。よってそれまでは、わざわざコストをかけて自然を絵に描くような人はいませんでした。ところが近世期になり、①神ではなく人間中心の世界観へ移行したこと②自然の癒しの面が注目されたこと、などが理由となり、風景を描いた絵の需要が高まりました。

つまり風景画というのは、西洋においてはきわめて近代的な産物であり、この時代を象徴する絵画でした。

② 商人をのぞく庶民の肖像画が誕生

西洋においては、庶民でありながら貴族と同等かそれ以上の財産を持つようになる、はじめての庶民が商人でした。中世後期から徐々に力を持ちはじめた大商人は、ルネサンス期(15-16世紀)には肖像画の製作を依頼できるほど、資産をもつようになります。17世紀以降にはついに、商人ではない庶民の肖像画、例えば市警団の肖像画も登場します。このような肖像画の誕生は、中世期から続いていた、身分制社会の崩壊を大きく告げる出来事でした。

③ スペインとオランダの黄金期が到来

近世期には、スペインとオランダの黄金期が到来し、それらの国を拠点に活動する画家が大勢いました。スペインは大航海時代の波に乗って植民地を増やし、地球表面上のどこかで常にスペイン国旗が日に当たっていることから、「太陽の沈まぬ国」と呼ばれる大帝国を築いていました。一方でオランダは、中世後期からヨーロッパじゅうの商人が集まる、国際商業都市を持ちつづけ、経済的に他の国より優位に立っていました。よって、この時期に製作された絵画は、今もスペインかオランダが保持している割合が高いです。

④ バロック様式とロココ様式の絵画が流行

近世期には、芸術様式として、バロック様式とロココ様式が流行しました。具体的には16-17世紀にバロック様式が、18世紀にロココ様式が流行しました。バロック様式の絵画の特徴は、明暗の対比や劇的な動作を用いている点で、ローマ・カトリック教会からも奨励されていました。ロココ様式の特徴は、華やか・甘美で曲線的なデザインである点で、フランスの王宮から始まりました。そのためロココ様式の絵画の主体は貴族でした。

連載最終回の今回は、近代期(18世紀末-20世紀)の絵画の特徴を紹介します。

近代期の絵画:18世紀後半以降

西洋の近代期は一般的に、産業革命がはじまった頃(18世紀後半)~20世紀までを指します。

産業革命とは、道具から機械への生産技術の変化と、それに付随して起きた、社会構造の大変革のことです。世界史を学んでいると、「○○革命」という用語がたくさん出てきますが、人類に最も大きな暮らしの変化をもたらしたのが、産業革命であることは、万人の意見が一致するところだと思います。

産業革命にて、人間の労働に機械を取り入れることが当たり前になると、近代的な資本主義体制が生まれました。近代的な資本主義体制とは、工場や機械や土地を持つ資本家が、労働者を雇って利益を生みだしていく、現代人になじみのある経済・社会システムのことです。

歴史上の時代区分は古代、中世など様々な区分で分けることができます。しかし、たった2つだけに分類するなら「前近代」と「近代」で表すことが多いです。これは産業革命の前と後で、社会のしくみや人びとの思考・生き方が大きく変わったことを意味しています。

近代期の絵画の特徴として、一番に押さえておきたい点は、産業革命の影響が絵に現れるようになったことです。具体的には、この時代以降にしか存在しないもの、例えば蒸気機関車を描いた絵などが誕生しました。そして、急速な産業発展により都市環境が劣悪になったことで、まだ駆け出しだったジャンルの、風景画の評価が西洋全体で高まる結果となりました。

そのほかの特徴も含めた、近代期の絵画の特徴を、以下に列挙します。次の章から、順番に説明していきます。

  • 産業革命の影響が絵に現れる
  • 画家の主義・主張が顕著になる
  • 人間の内面に着目した絵が流行
  • 写実主義から離れる

特徴① 産業革命の影響が絵に現れる

《雨、蒸気、速度――グレート・ウェスタン鉄道》ターナー、1844年、ナショナル・ギャラリー(ロンドン)。
《Wivenhoe Park, Essex》ジョン・コンスタブル、1816年、ナショナル・ギャラリー (ワシントン)。

近代期の絵の最たる特徴が、産業革命の影響が絵に現れるようになった点です。

絵画に対する産業革命の影響を語る上で、よく引き合いに出される画家が、ターナーコンスタブルです。いずれもイギリスの画家で、産業革命がいちはやく始まった故国にて、その影響を大きく受けました。

ターナーの代表作であり、時代を象徴する絵でもあるのが、上図の《雨、蒸気、速度――グレート・ウェスタン鉄道》です。この絵では、霧をきって猛スピードで進む蒸気機関車の一瞬が捉えられています。

グレート・ウェスタン鉄道は、首都ロンドンと港町のリヴァプールを結ぶ、イギリスを代表する鉄道路線でした(1838年運行開始)。一般的に、その国ではじめてつくられる大規模な鉄道というのは、港と首都を結ぶ線が多く、なぜかというと、そうすれば大量の物資を首都から港へ、また港から首都へと一気に運ぶことができるからです。リヴァプールは、世界各地の都市とつながり、奴隷貿易や綿製品の取引によって利益をあげる、当時最大の港でした。

もちろん、首都と港を結ぶ鉄道は、経済面だけでなく、軍事面でも非常に重要だよ。食料や武器や人員などの輸送を、戦地へどれだけ早く行えるかは、勝率に大きく関わることなんだ。

それを知っていた古代ローマ帝国は、帝国全土を網羅する街道をつくり、戦争の勝率をあげたんだ!詳しくは歴史における道の役割を参照してね。

ターナーは、当時運行しはじめたばかりの、イギリスを代表する蒸気機関車を絵に描きました。その点で彼は、当時の社会変化を象徴する人工物に興味を持っていた、少なくとも否定的な想いを持っていなかったことが分かります。当時の人びとにとって、蒸気機関車というのは、初めて目にするものでした。神秘的なタッチで蒸気機関車を描いたターナーは、莫大なエネルギーをもって自ら動く機械というものに、ある種の畏怖の念を感じたのかもしれません。

《Flatford Mill》ジョン・コンスタブル、1816-1817年の間、テート・ブリテン。

コンスタブルは、ターナーと異なり、産業革命に対し否定的な想いを持っていた画家でした。彼は産業革命が進む都市には魅力を感じず、あえて文明進歩の要素をのぞいた、のどかな田園風景ばかりを絵に描きました。

コンスタブルと同じような想いを抱いた芸術家は多く、近世期に確立した風景画の人気は、労働が機械化へと向かい、環境が汚染されていくこの時代に、急激に高まりました。そのような背景もあり、19世紀には、風景画は他のジャンルと比べて、そん色ない地位を獲得しました。言い換えると、風景画が西洋人に評価されるようになるには、文明の進歩によって、自然が人間にとって脅威とならないレベルまで、弱まることが必要だったのです。

特徴② 画家の主義・主張が顕著になる

《1808年5月3日、マドリード》スペインで起きた抵抗運動を武力で弾圧しようとするフランス軍のようす。フランシスコ・デ・ゴヤ、1814年、プラド美術館。
《民衆を導く自由の女神》ドラクロワ、1830年、ルーヴル美術館。

近代期の絵画の特徴・2つ目は、画家の主義・主張がはっきりと表れるようになった点です。

これまでの連載で紹介してきた通り、科学技術が発達していない時代に絵画を制作するには、多大なコストがかかりました。よって絵を制作できるのは限られた大金持ちのみで、画家が独力で絵を制作することは難しく、パトロンの依頼に忠実な絵ばかりが制作されてきました。言い換えると、絵に多大なコストがかかる時代には、画家の意思を絵に反映することはできませんでした。

ところが近代期になると、科学技術が発達した結果、人工の顔料などが誕生し、絵の製作にかかるコストが、それまでの時代に比べて、相対的に低くなります。すると画家が自分の資金のみで絵を制作できる機会が増え、彼らの政治的な主義・主張を反映した絵が増えていきます。

例えば、スペイン出身の画家、フランシスコ・デ・ゴヤは《1808年5月3日、マドリード》という題名の絵を描きました。これはナポレオンがフランス皇帝として君臨していた時代の、スペインにおける抵抗運動を描いた絵です。

この絵において、フランス軍に銃を向けられた、白シャツの男性のてのひらには聖痕(イエス・キリストが磔にされた際の傷痕)があります。つまりゴヤは、ナポレオンが民衆の敵で、民衆は正義をつらぬく殉教者であることを、この絵で示唆しているのです。

白シャツの男性の拡大図。

もう一つの例は、ドラクロワの《民衆を導く自由の女神》です。これは見て分かる通り、フランス市民による革命を表したもので、王政復古したブルボン朝を崩壊させた、フランス7月革命の様子が描かれています。

近代期には、このような画家の政治的な主義・主張がはっきり表れた絵が多く描かれました。のちほど紹介する、ピカソが描いた《ゲルニカ》も、政治的な主張を込めた絵といえます。ピカソは《ゲルニカ》(1937年)を描くことで、ドイツ空軍によるスペインの無差別爆撃を批判しました。

中世期などのひと昔前までは、民は支配者層の横暴に対し、声をあげる手段を持ちませんでした。それが、庶民の識字率が向上し、活版印刷が普及したことで、徐々に声をあげることができるようになり、ついには絵画などの芸術作品を通じても、声をあげることができるようになったのです。

そしていまや、民はSNSなどのネットで声をあげることができるようになったんだよ。

特徴③ 人間の内面に着目した絵が流行

《ヘロデ王の前で踊るサロメ》ギュスターヴ・モロー、1876年、アーマンド・ハマー美術館。
《世の光》ウィリアム・ホルマン・ハント、1851-1856年の間、マンチェスター市立美術館。
《オフィーリア》ジョン・エヴァレット・ミレー、1852年頃、テート・ブリテン。
《晩鐘》ジャン=フランソワ・ミレー、1857-1859年の間、オルセー美術館。

近代期の絵画の特徴・3つ目は、人間の内面に着目した絵が流行した点です。

ルネサンス期から写実性に重きが置かれた西洋絵画は、それ以降、基本的にますます写実的になっていきます。そしてついには、人間の外面だけでなく内面をリアルに表そうとする試みが広がっていきます。内面について具体的にいうと、感情や無意識、夢の世界といったものです。人間の内面を追求した画家たちは、「見たままではない何か」を絵に表現しようとしました。言い換えると、絵を寓意的にしたともいえます。

ここでは2作品に絞って解説します。

《世の光》ウィリアム・ホルマン・ハント、1851-1856年の間、マンチェスター市立美術館。

まずは、ウィリアム・ホルマン・ハントの《世の光》について解説します。この絵は、近代期のキリスト教絵画のなかで、最も有名かつ人気な絵の1つです。新約聖書における、ヨハネの黙示録3章20節を念頭に描かれたことで知られています(以下引用)。

見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。

この文章における「わたし」とはキリストのことです。すなわちこの文章は、キリストの声を聞いて、キリストを心の内に招く者には、祝福がもたらされるだろう、ということを解いています。

よって、ウィリアム・ホルマン・ハントが絵に描いた扉は、物理的な扉でもありますが、心の扉も意味します。その扉が、現状では固く閉ざされていることが、絵から読み取れるのです。

《晩鐘》ジャン=フランソワ・ミレー、1857-1859年の間、オルセー美術館。

次に、ミレーの《晩鐘》について解説します。教会の鐘は中世期より、共同体における時計の役割をになってきました。例えば中世都市では、朝の祈りの鐘とともに、都市の門(市門)を開け、終課の鐘(午後8-9時頃)とともに門を閉ざす、などの慣習がありました。絵のタイトルである「晩鐘」に該当する晩課の鐘は、午後6時頃に鳴る鐘で、中世都市の市内においては、一日の労働と法行為の終了を告げるものでした。

西洋における鐘の役割は、以下記事の「鐘楼」の章を参照ください。

《晩鐘》では、晩課の鐘の音とともに、祈りを捧げる農民夫婦が描かれています。当然ながら、この絵はキリスト教絵画ですが、従来のキリスト教絵画とは、趣がまったく異なります。これまでのキリスト教絵画は、主に聖人を主体として描くもので、聖堂に飾る際に映えるよう、装飾性も強くきらびやかでした。

ところが、《晩鐘》においては、どこにでもいる農民夫婦を主体に描き、どこにでもあるような畑を舞台にしています。その点で見た目としては大変「地味」です。しかしながら鑑賞者は、鐘の音によりわざわざ仕事の手を止め、祈祷している夫婦の内面、すなわち敬虔な信仰に想いをはせ、その精神性に感嘆させられるのです。

すなわちこの絵は、外面ではなく内面で「魅せる」絵なのです。それは従来のキリスト教絵画にはあまりなかった視点で、人間の内面に着目した、近代期ならではの絵といえるでしょう。

特徴④ 写実主義から離れる

《印象・日の出》クロード・モネ、1872年、 マルモッタン・モネ美術館(パリ)。
《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》ピエール=オーギュスト・ルノワール、1876年、オルセー美術館。
《星月夜》フィンセント・ファン・ゴッホ、1888年、オルセー美術館。
《アビニヨンの娘たち》パブロ・ピカソ、1907年、ニューヨーク近代美術館蔵。

近代期の絵画の特徴・4つ目は、写実主義から離れた点です。

ルネサンス期以降の西欧においては、プロが描いた絵画というのは、写実的であることが大前提でした。彼らは古代ギリシア・ローマの芸術様式にのっとり、まるで本物であるかのような人物・建物・風景を創造することに、身骨をくだいてきました。つまり、写実性が高いことは、そのまま芸術性が高いことを意味しました。逆にいうと、写実性が低い絵というのは、素人でも描けうる絵なので、絵としての価値がありませんでした。

ところが、19世紀に写真が発明されると、単に写実的に描いただけの絵画に、絵としての価値はなくなります。なぜなら、対象物を最も写実的に平面に起こす媒体が、絵画から写真に取って代わられたからです。つまり写真が発明されたとき、太古から絵画が果たしてきた、人物や事件の「記録」としての機能は、ほぼ無用とされたのでした。

例えば、写真が発明されて以降は、人物の記録は「肖像画」ではなく、写真に残すのが一般的だね。

すると画家たちは、絵画の芸術性は、写実性の高さのみでは決まらないことに、気づかされます。むしろ、写実性以外の点で勝負しないと、絵画は写真で代替可能ということになり、絵画に価値がなくなってしまいます。そうなってしまっては、生計を立てられなくなってしまうので、多くの画家は写実性以外の点で、芸術性を高めようと模索しました。加えて、この数百年間は、写実性にこだわった絵が多かったため、別の表現をしたいと思う画家も増えてきました。

《印象・日の出》クロード・モネ、1872年、 マルモッタン・モネ美術館(パリ)。

日本人に人気な「印象派」と呼ばれるジャンルは、この頃(19世紀後半)に登場しました。印象派の画家の間では、人物や物の輪郭を描かずに、自由に色をのせていく描き方が好まれました。印象派の絵は、筆のタッチが他のジャンルと比べて粗く、全体的にぼんやりとして、抽象的であることが特徴です。

印象派の先駆けといわれるのが、睡蓮の絵を好んで描いたことで有名な、クロード・モネです。「印象派」という名称は、彼の《印象・日の出》というタイトルの絵からつくられました。

印象派の絵画は、従来の絵画と比べると、あえて細部を不明瞭に描いています。下図のような人物画を見るとよく分かります。

《エラニーでの干し草の刈り入れ》カミーユ・ピサロ、1901年、カナダ国立美術館。

写実性の高さが絶対だった当時の美術界において、印象派の絵は幼稚に映り、人びとからの嘲笑と揶揄の的になりました。しかしその評価が年々上がっていったことは、写実性に頼らない芸術性の高さを、人びとがこれらの絵に見出した結果だと思います。

日本人に印象派が人気な理由として、よく「宗教的な背景を知らずとも楽しめるから」と言われるけれど、個人的にはそれよりは、日本人の美的感性に合っているからではないかと思うよ。

例えば、さまざまな色を重ねることで、重なり具合によって異なる、繊細なグラデーションを楽しむ文化は、すでに平安時代にはあったよね。それぞれ異なる色をした、薄い着物を何枚も重ねる文化は、「かさね色目」というよ。

《アビニヨンの娘たち》パブロ・ピカソ、1907年、ニューヨーク近代美術館蔵。

写実性以外で「魅せる」絵を描こうという試みは、20世紀初頭に登場したジャンル、キュビズムにも表れています。このジャンルの創始者として知られるのが、スペイン出身の画家、バブロ・ピカソです。

ピカソは幼少期から、大人顔負けに写実性の高い絵を描くことができました。しかし成長するにつれて、他の芸術表現を模索するようになり、《アビニヨンの娘たち》に見られるような、さまざまな角度から見た顔を一つの顔に収めるなどの、独特な描き方をするようになりました。

近代期はこのように、従来の写実主義から離れ、新しい芸術的魅力を模索する動きが活発になったのでした。

コラム:キリスト教絵画の変遷

今回の連載【西洋絵画の楽しみ方】では、以下の時代区分ごとに画風の変遷を見てきました。

  • 中世期の絵画:5-15世紀
  • ルネサンス期の絵画:15-16世紀
  • 近世期の絵画:17-18世紀
  • 近代期の絵画:18世紀後半-20世紀

初回にて私は、あらゆる芸術は信仰と結びついて発展してきた、と述べました。実際に、この連載を通して読むことで、どの時代区分においても「名画」と呼ばれるキリスト教絵画が存在することを、知っていただけたと思います。このことは、ヨーロッパの絵画がキリスト教とともに発展してきたことを、分かりやすく示しています。

ふりかえりとして、これまで紹介してきた画家の、キリスト教に基づく絵画を、中世期から順番に以下に並べます。画像はクリックで拡大されます。

中世期の絵画では、光輝く神性を表すために、カラフルな色合いが好まれました。ルネサンス期になると写実性が重視され、表情や筋肉、衣服のひだなどがリアルに描かれるようになりました。

近世期には、光輝く神性が、画面上の明暗によって表現されるようになりました。また風景を主体にした宗教画も増えてきました。近代期には、人間の内面を表現する試みがなされ、素朴な生活のなかの信仰心を描く絵が増えました。

こうして辿っていくと、キリスト教はヨーロッパ人の精神の根幹にある信仰で、いつの時代もそれを心の支えにしながら、人びとが生活してきたことが分かるのです。

中世編では、キリスト教絵画の楽しみ方も紹介しました。絵画の背後にある物語を知ると、観賞がますます楽しくなるので、ぜひ聖書のエピソードを学んでみてくださいね。

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おわりに

今回は、近代期(18世紀後半-20世紀)の絵画の特徴を紹介しました。

近代期の絵画の特徴として、以下4点を挙げました。

  • 産業革命の影響が絵に現れる
  • 画家の主義・主張が顕著になる
  • 人間の内面に着目した絵が流行
  • 写実主義から離れる

美術館で西洋絵画を鑑賞するとき、以下のような特徴があれば、それは近代期の絵画である可能性が高いです。

  • 自然美を楽しむような風景画である
  • 機械、電球などの近代的産物が絵に描かれている
  • 画家の政治的主張が現れている
  • 写実的ではない画風

西洋美術を鑑賞する際には、本連載を読みなおして、時代ごとの特徴を再学習してから鑑賞すると、より楽しめると思います。他に、聖書の代表的なエピソードを学習したり、アトリビュートを学習したりすることも効果的です。

さらに詳しく西洋美術史の流れを理解したい方は、以下の本がおすすめです。高校生でも気軽に読めるくらい、やさしく面白い内容なので、入門にぴったりです。

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以上、シリーズ【西洋絵画の楽しみ方】でした。最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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