【第3回】西洋絵画の特徴と楽しみ方:近世編

西洋絵画の楽しみ方を解説する連載、第3回です(全4回)。本連載では、絵を観ただけで、その絵が描かれた時代をおおまかに判別するヒントを紹介しています。時代背景を知ると、絵の見方のバリエーションが広がり、絵画鑑賞が楽しくなりますよ。

今回は、ルネサンス期以後の、近世期(17-18世紀)の絵画の特徴を紹介します。

目次

前回のふりかえり

前回の記事では、ルネサンス期(15-16世紀)の絵画の特徴と楽しみ方を紹介しました。ルネサンス期の絵画の特徴として、最も押さえておきたい点は、「異教」の神々を描いた絵が社会で許容された点でした。

そのほかの特徴も含めて、以下5点を挙げました。それぞれの点について、簡単にふりかえりをしていきます。

  • 「異教」を描いた絵が許容される
  • 写実性に重きが置かれる
  • 商人の肖像画が誕生
  • 農民を題材にした絵が誕生
  • テンペラ画や油彩が普及

①「異教」を描いた絵が許容される

ルネサンス期には多くの知識人が、自分たちの文化の根底にある、古代ギリシア・ローマの文化の美点を再発見し、憧れをもつようになった時代でした。その結果、キリスト教の視点では「異教」に該当する、古代ギリシア・ローマの神々を題材にした絵が描かれるようになりました。ルネサンス期の人びとは、前時代から引き続き、キリスト教が世界で唯一存在すべき宗教であると考え、キリスト教以外の信仰を認めませんでした。とはいえ、人びとがキリスト教ではない神話に関心を持ち、それを絵で表現できるようになった点は、中世期からの大きな変化でした。

②写実性に重きが置かれる

古代ギリシア・ローマ時代の芸術作品においては、写実性に重きが置かれていたため、その文化をモデルとしたルネサンス期の絵画でも写実性が重視されました。例えば、筋肉のもりあがり、繊細な表情、衣服のひだや素材の質感、背景の遠近感などの写実性が高まりました。このような写実的な表現が発展した背景には、遠近法や解剖学の研究の成果がありました。

③商人の肖像画が誕生

科学技術が発展していない時代、絵画を制作するには多大なコストがかかるため、画家に自身の肖像画制作を依頼できるのは、限られた富裕層のみでした。その富裕層とは、長らく王侯貴族を指しましたが、ルネサンス期以降には、大商人も含むようになります。つまりルネサンス期には、肖像画制作を依頼できるほど、一部の商人が財産を持つようになっていました。この変化は貴族の権力が相対的に弱まったことを意味し、その後何百年もかけて、身分制社会が崩れていく系譜上にあります

④農民を題材にした絵が誕生

絵画制作に多大なコストがかかる時代には、絵の題材にする価値があるものを、厳選して描く傾向になります。そのためルネサンス以前には、庶民を題材にした絵はほとんど描かれませんでした。ところが、ルネサンスに代表的なヒューマニズムの思考、すなわち「人間のありのままの姿を肯定する」という思考から、農民の生活に着目した絵が描かれるようになりました。

⑤テンペラ画や油彩が普及

ルネサンス期には、より写実的な絵を描くために、画材の変化も生じました。具体的には、絵具がかわいた後に重ね塗りが可能な、テンペラ画油彩が好まれるようになりました。支持体としては、次第にキャンバス(帆布)が普及し、のちには油彩とキャンバスのセットでよく絵が制作されるようになりました。

連載3回目の今回は、近世期の絵画の特徴を紹介します

近世期の絵画:17-18世紀

西洋の近世期は、一般的に15-18世紀頃を指します。そのはじまりはローマ・カトリック教会の権威が弱まった頃で、おわりは産業革命が起こるまでです。つまり近世期は、現代人になじみのある機械や科学技術がまだない時代、古代期や中世期も含めた「前近代」というくくりに含まれます。

近世期の社会変化には、以下のようなものがあります。

  • 商人や職人などの庶民の台頭
  • 封建貴族の弱体化による、王権の拡大(中央集権化)
  • 大航海時代の到来と、世界経済のはじまり
  • 活版印刷の発明と普及
  • キリスト教的宇宙観のゆらぎ
  • ローマ・カトリック教会の腐敗による、宗教改革
  • 自然科学の発展(科学革命)

近世期のうち、ルネサンス期(15-16世紀)がどのような時代だったかは、前回の記事で紹介しました。そのため本記事における近世期とは、ルネサンス期以後の17-18世紀とします。

近世期の絵画の特徴として、一番に押さえておきたい点は、風景画が確立した点です。

「風景画なんて、いつの時代にもあるよね?」と思ったそこのアナタ、これまで連載してきた中世編とルネサンス編で紹介した絵を見返してみましょう。いずれの絵も必ず人物が主体で描かれており、風景のみを描いた絵は存在しません(※)。その理由は、ざっくり言うと、風景を題材にした絵に価値がなかったからです。詳しくは次章で説明します。

※『ニュルンベルク年代記』における都市の挿絵は、街並みを描いた絵なので、一見、風景と捉えられます。しかし景色が美しいから描かれたのではなく、町の外観を紹介するために描かれたもので、「地図」としての用途を持っています。

ところが近世期になると、人物を小さく、背景の風景をメインに描いた絵が、多々生まれます。これは同時代の人びとが、風景を題材にした絵に魅力を感じはじめたことを意味します。

そのほかの特徴も含めた、近世期の絵画の特徴を、以下に列挙します。次の章から、順番に説明していきます。

  • 風景画が確立
  • 商人をのぞく庶民の肖像画が誕生
  • スペインとオランダの黄金期が到来
  • バロック様式とロココ様式の絵画が流行

特徴① 風景画が確立

ヨアヒム・パティニール《聖カタリナの車輪の奇跡》1515年頃、ウィーン美術史美術館
ヨアヒム・パティニール《聖カタリナの車輪の奇跡》1515年頃、ウィーン美術史美術館
《The emperor walking in the woods near Neugebäude Palace》ルーカス・ファン・ファルケンボルフ、1593年頃、美術史美術館(ウィーン)。

近世期の絵画の最たる特徴が、風景画が確立した点です。

風景画とは、山や森や海などの、自然景観の美しさを描いた絵のことです。画面内に人物が描かれることもありますが、人物が画面上に占める面積は非常に小さく(具体的には六分の一以下のことが多い)、あくまで景観が主体となっています。西洋において「風景画」というジャンルが確立したのは、17世紀頃です。

それ以前に風景画が描かれなかった理由は、風景を題材にした絵に対し、人びとが魅力を感じなかったためです。というのも、それ以前の人びとにとって自然とは日常に当たり前に存在するもので、「美しいもの」というよりは、常に人間の住まいを脅かす「敵」だったからです。

科学技術などの文明が発展していない、前近代においては、生きることは常に自然との戦いでした。居心地よい暮らしを維持するためには、毎日、自然の浸食を後退させる、何らかの作業をしなければなりません。例えば、畑の周りの草を刈ったり、村の敷地に生えてきた樹の芽を抜いたりといった作業です。そうでなければ、自然はあっという間に人の住処に浸食し、呑み込んでしまいます。

現代でも田舎に暮らす人なら、毎日が自然との戦いである感覚が容易に分かるよね。sousouは少し前から田舎暮らしをしているのだけど、周りに住む人はみんな、賃金労働をしていないときは、草刈り、枝の剪定、タケノコ堀りなどで大忙しだよ。

現代人にとって「仕事」とは、「対価に賃金をもらえる労働」というイメージが強いだろうけど、じつはそのような労働の概念は最近のもので、人類が伝統的に行ってきたあらゆる仕事は、賃金が発生しないんだ。掃除や洗濯、料理などの家事もその一つだね。

また基本的に、人類は文明の発展とともに人口を増やしてきました。その際、増えた人数分だけの腹を満たさなければならないので、継続して耕作地を広げる活動をしてきました。言い換えると、人類は人口増加とともに、森を切り開き、人間の管理地を増やしてきました。西洋史上で、最も開墾運動が活発になったのは、12~13世紀で、当時の人びとは、森が減れば減るほど(住みやすくなって)よいと考えていました。

もちろん、人びとは自然を常に「敵」と考えていたわけではありません。というのも、「神」を畏怖する気持ちは、どこの文化圏でも、たいてい自然を畏怖する気持ちからはじまったからです。かつて人の共同体の外、言い換えると村の外は、超自然的な存在が暮らす領域でした。ゆえに人びとは、自然に畏れを感じながら、ときに美しいと思うこともあったでしょう。

しかしながら、キリスト教の伝統的な考えでは、自然は人間が征服すべき対象で、異教徒などの隠れ場となっている、悪魔の領域でした。ゆえに、自然の美しさをたたえる絵画を制作することは、神を中心とした生活を送っていた時代(おもに中世期)にはあり得なかったのです。

そのような異教的な絵画をつくる余裕があるなら、信仰のための絵画の一つでもつくりなさいよ、となっちゃうよね。

ところが近世期になると、以下のような理由から、自然の美しさを描きたいと思う画家が増えてきました。

  • 神を中心とした世界観から、人間を中心とした世界観へ移行する
  • 都市やその近郊に暮らす人口が増加したことから、自然と戦う暮らしをする人が減り、自然の肯定的な面が注目される

そうして、人物を描きながらも自然景観を主体にしたと思われる、風景画の原型となる絵が増えていきます。

例えば、ヨアヒム・パティニール(1480年頃-1524年)は風景画の先駆者の一人とされ、人物を脇役、風景を主役とした絵を数多く残しています。しかし完全に風景にスポットを当ててしまっては、当時の絵としては需要がなくなってしまうので、聖書や神話の一場面を題材にしながら、背景の風景を描きこむといった、当時ならではの工夫を凝らしました。そのようにすれば、いちおう「キリスト教絵画」や「古代ギリシア・ローマ神話の絵画」という体で顧客やパトロンに提示することができるからです。

具体的には、下図の絵画は、聖書や古代ギリシア神話のエピソードを題材にしていますが、人物が非常に小さく、背後の自然景観がメインとなっています。

ヨアヒム・パティニール《聖カタリナの車輪の奇跡》1515年頃、ウィーン美術史美術館
ヨアヒム・パティニール《聖カタリナの車輪の奇跡》1515年頃、ウィーン美術史美術館
アドリアーン・イーゼンブラント《エジプトへの逃避途上の休息》1520-30年頃、ウィーン美術史美術館
アドリアーン・イーゼンブラント《エジプトへの逃避途上の休息》1520-30年頃、ウィーン美術史美術館
ヨアヒム・パティニール《ステュクス川を渡るカロンのいる風景》1520-24の間、プラド美術館
ヨアヒム・パティニール《ステュクス川を渡るカロンのいる風景》1520-24の間、プラド美術館
アダム・エルスハイマー《エジプトへの逃避》1609年、アルテ・ピナコテーク所蔵。
アダム・エルスハイマー《エジプトへの逃避》1609年、アルテ・ピナコテーク所蔵。

聖書のエピソードのなかでも、とくに風景画の先駆者たちに好んで描かれたテーマが、「エジプトへの逃避」です。ヘロデ王が生まれたての幼児を虐殺していると知り、マリアとヨセフが幼いイエスを連れて、エジプトへと逃れる場面です。その旅の場面を描くと、おのずと自然景観を描くことになるため、宗教画の体をとって風景画を描ける題材として、先駆者たちに好まれたのでした。

近世期に風景画のジャンルが確立したことは、西洋の人びとが自然を畏怖でもなく敵でもなく、「癒し」の対象として捉えはじめたことを意味する、象徴的な出来事です。その背景には、彼らの宗教観の変容と、かつてないほどの文明の高度化がありました。その人気は、産業革命が起きて、都市民が疲弊していく近代期に、ますます高まっていきます。

風景画に人物を描く理由

現代でも一般的に、景観のみが描かれた風景画より、人物も描かれた風景画のほうが、人気傾向にある印象を受けます。その理由として、例えば以下の点が挙げられます。

  • 人物がいたほうが景観の縮尺が分かりやすい(樹や山やどれくらい高いのかなど)
  • 情報量が増えるため解釈の幅が増える=見てて飽きない絵になる
  • その画家は景観も人物も描けるということなので、芸術的技巧が優れているという証明になる

西洋人の自然景観に対する捉え方の変遷は、以下の記事で詳しく記載しています。

特徴② 商人をのぞく庶民の肖像画が誕生

《フランス・バニング・コック隊長の市警団(夜警)》レンブラント・ファン・レイン、1642年、アムステルダム博物館。

近世期の絵画の特徴・2つ目は、商人をのぞく庶民の肖像画が誕生した点です。

前回のルネサンス編にて、西洋史では、「商人」が庶民でありながら貴族と同等かそれ以上の財産を持つようになる、はじめての庶民だったことを紹介しました。そのため、庶民の肖像画のなかでは、商人の肖像画が最も早い段階で誕生したのでした。さらに身分制社会の崩壊が進んだ近世期には、商人ではない庶民の肖像画が誕生しました。

例として、上図のレンブラントの絵を挙げます。《夜警》という通称で有名なこの絵の正式名称は、《フランス・バニング・コック隊長の市警団》です。レンブラントがアムステルダム(現オランダの首都)の市警団から制作を依頼されました。つまりこの絵は、実在したアムステルダムの「市警団」の集団肖像画なのです。

ここで、西洋史における「夜警」について簡単に紹介します。夜警とは、都市の治安を守るために、夜に市内を見回りする、市民で構成された警察のことです。中世期における夜警は、日中に本業のある人が、ボランティアとして当番制で行うものでした。しかし近世期になると、賃金をもらう専門職として確立していきます。「市警」もほぼ同義で、市民で構成された警察という意味です。

私は以下の記事で、西洋における都市の特徴として、市民が自治権を持っていたことを挙げました。市壁に囲われた都市は、まさに市民たちの「家」であり、自分たちの家の治安を、自分たちの手で守る行為は当然のことだったのです。

レンブラントはこの絵画の制作を、市民隊の隊長バニング・コックと、隊員17名の計18名から依頼されました。つまりこの集団肖像画は、市警という職業についていた庶民が制作を依頼した絵、ということになります。次の章で詳しく説明しますが、当時のオランダはスペインと並んで、経済的に他の国より優位に立っていました。そのため、市警にも絵画を依頼するだけの経済的余裕があったのです。このような、商人ではない庶民が、肖像画を依頼できるようになったことは、身分制社会の崩壊を大きく告げる出来事です。

そして、身分制社会の崩壊が西洋史上で最も象徴的に表れている出来事が、いよいよ18世紀に起こるね。1789年のフランス革命だ!

《Meat and Fish Market (Winter)》ルーカス・ファン・ファルケンボルフ、1595年頃、モントリオール美術館。
《踊る夫婦》ヤン・ステーン、1663年、ナショナル・ギャラリー (ワシントン)。

肖像画に限らず、ルネサンス期以後、市民や農民などの庶民を題材とした絵は増えていきます。例えばこの頃には、ルネサンス編で紹介したブリューゲルのスタイルを継承した、ルーカス・ファン・ファルケンボルフや、庶民の生活を生涯の作品テーマにしたヤン・ステーンといった画家がいました。

本ブログで人気上位の記事にあたる、宿屋の記事のアイキャッチにした以下の絵も、ヤン・ステーン作です。彼の絵からは、庶民のいきいきとした生活ぶりが感じられて、個人的にもかなり好きです。

《宿屋の前の農民》ヤン・ステーン、1650年代、トレド美術館。

特徴③ スペインとオランダの黄金期が到来

《牛乳を注ぐ女》ヨハネス・フェルメール、1660年頃、アムステルダム国立美術館。
《女官たち》ディエゴ・ベラスケス、1656年、プラド美術館。
《聖霊降臨(ペンテコステ)》エル・グレコ、1600年頃、プラド美術館。

近世期の絵画の特徴・3つ目は、スペインとオランダの黄金期が到来した点です。

近世期はスペインとオランダにて、才能のある芸術家が活躍しました。というのもその頃、スペインとオランダは経済的に他の国より優位に立っていたからです。

具体的には、スペインは大航海時代の波に乗って植民地を増やし、地球表面上のどこかで常にスペイン国旗が日に当たっていることから、「太陽の沈まぬ国」と呼ばれる大帝国を築いていました。西洋人のうち、アメリカ大陸にはじめて上陸したコロンブスは、スペイン女王の資金援助で航海しています。

オランダは中世期より、ヨーロッパじゅうの商人が集まるブルッヘ(ブリュージュ)などの国際商業都市を持っていた、商人によって成長したくにです。具体的には、中継貿易や毛織物生産、金融業などで経済的な利益を上げていました。その繁栄ぶりは、レンブラントが商人をはじめとする、庶民の肖像画を多々残していることからも分かります。

《布地商組合の見本調査官たち》レンブラント、1662年、アムステルダム国立美術館。
オランダの国際商業都市
ブルッヘの商人。16世紀前半。Simon Bening , Labors of the Months: October, from a Flemish Book of Hours (Bruges)

当時のオランダ(ネーデルラント)は、現在のベルギーの領域も含みます。ブルッヘは13世紀後半以降に、現フランスのシャンパーニュの大市に代わって繁栄しはじめました。15世紀後半以降は、商業の中心はアントウェルペンに移りますが、スペイン軍の占領により荒廃し、その後はアムステルダムが栄えました。

この頃の才能のある画家は、スペインやオランダを活動の拠点としていました。例えば、ダイナミックなキリスト教絵画で知られるエル・グレコ、《女官たち》などで知られるディエゴ・ベラスケスは、スペインを活動の拠点としていました。《真珠の首飾りの少女》《牛乳を注ぐ女》などで知られるフェルメールや、《夜警》などで知られるレンブラントは、オランダを活動の拠点としていました。

じつは、その画家がどこを中心に活動していたのかを、簡単に知る方法があります。それは絵画のキャプションを読むことです。例えば、本章で紹介した絵画のキャプションには、「アムステルダム国立博物館」か「プラド美術館」と描かれていますね。これはその絵が所蔵されている場所を示すもので、いずれの博物館・美術館も、オランダとスペインを代表する芸術施設です。そのため、それぞれの画家が、かつてオランダとスペインで活動していたことが分かるのです。

もちろん、芸術品は売られたり盗まれたりすることがあるので、その国で製作された絵画が、その後もずっとその国にあるわけではありません。しかし世界的に有名な絵画は、祖国ともいうべき国が手放さない傾向にあるので、あるいは何らかの事情で他国の持ち物になっていたとしても、買い戻したり返還要求したりする傾向にあるので、一程度の参考にはなります。

特徴④ バロック様式とロココ様式の絵画が流行

バロック様式の絵画。《キリストの埋葬》カラヴァッジオ、1602–1603年頃、ピナコテカ・ヴァチカナ(ヴァチカン)。
ロココ様式の絵画。《ぶらんこ》ジャン・オノレ・フラゴナール、1767-1768年の間、Wallace Collection。

近世期の絵画の特徴・4つ目は、バロック様式とロココ様式の絵画が流行した点です。

○○様式というのは、芸術文化に見られる、その時代を反映して特徴づけられる表現形式(スタイル)のことです。例えば中世期には、11-12世紀にロマネスク様式、13-15世紀にゴシック様式が流行し、その様式の特徴が聖堂や服飾に顕著に現れました。詳しくは西洋中世期の服飾-ロマネスク時代女性を参照ください。

近世期には、16-17世紀にバロック様式が、18世紀にロココ様式が流行しました。

16-17世紀に流行した、バロック様式の絵画の特徴は、明暗の対比や劇的な動作を用いている点です。バロック様式の絵を描いた代表的な画家に、レンブラント、フェルメール、ベラスケス、カラヴァッジオなどがいます。いずれも、これまでに絵を紹介してきた画家です。彼らの絵を見ると、全体的に画面の色調が暗く、スポットで光が当たっている様子が見てとれます。またカラヴァッジオの《キリストの埋葬》に顕著な通り、人物の動作が「おおげさ」でもあります。

カラヴァッジオの《キリストの埋葬》は大阪万博のイタリア館に展示されていることで、話題になっているね!

《大工の聖ヨセフ》ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、1642年頃、ルーヴル美術館。

バロック様式の画家で個人的に好きなのは、「夜の画家」として知られるジョルジュ・ド・ラ・トゥールです。彼は蝋燭の火が灯る室内を題材にした絵を多く描いているため、以下の記事にぴったりだと思い、記事内で《マグダラのマリア》の絵を取り上げました。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの絵からは、電気が発明されていない時代の夜の明かりが、いかに頼りなかく、しかしそれゆえに神性を感じられたかを、知ることができます。

バロック様式は、当時のローマ・カトリック教会が奨励した芸術様式でもあるよ。中世期には、カラフルな色を使うことで「光輝く」さまを表していたのが、近世期には明暗で「光輝く」さまを表すようになったんだね。キリスト教において光というのは、神の象徴だよ。

《シテール島の巡礼》アントワーヌ・ヴァトー、1717年、ルーヴル美術館。
《ポンパドゥール夫人》フランソワ・ブーシェ、1756年、アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)。

18世紀に流行した、ロココ様式の特徴は、華やか・甘美で曲線的なデザインである点です。フランスの宮廷から始まった様式であるため、絵の題材は主に貴族です。この流行はフランス革命(1789年)が起きて、宮廷の権力が失われるまで続きました。ロココ様式が流行した期間は短いため、有名な絵画の数はあまり多くないです。

ロココ様式は、女の子が好きそうな王宮要素とラブ要素をふんだんに盛り込んでいるから、ヨーロッパを世界観のモデルにした、王宮ラブファンタジーものでよく採用されるデザインだよ。

でも歴史的な背景を知ると、庶民の貧しい暮らしを無視して、絵に描かれるような華やかで贅沢な暮らしを貴族がしていたから、フランス革命が起きてしまったとも言えるね。

フランス革命以後は、貴族を頂点とした社会制度が崩れていくから、ロココ時代は歴史上で最後の、貴族の青春だったのかもね。

おわりに

今回は、ルネサンス期以後の近世期(17-18世紀)の絵画の特徴を紹介しました。

近世期の絵画の特徴として、本記事では以下4点を挙げました。

  • 風景画が確立
  • 商人をのぞく庶民の肖像画が誕生
  • スペインとオランダの黄金期が到来
  • バロック様式とロココ様式の絵画が流行

美術館で西洋絵画を鑑賞するとき、以下のような特徴があれば、それは17-18世紀の絵画である可能性が高いです。

  • スペインかオランダに所蔵されている
  • バロック様式かロココ様式の特徴がある

さらに詳しく西洋美術史の流れを理解したい方は、以下の本がおすすめです。高校生でも気軽に読めるくらい、やさしく面白い内容なので、入門にぴったりです。

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シリーズ【西洋絵画の楽しみ方】はつづきます。次回は最終回で、近代期(18世紀後半-20世紀)編です。お楽しみに!

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