サマセット・モーム『月と六ペンス』-10月読書会

目次

はじめに

2023/10/14(土)に6回目の読書会を開催しました。今回は課題本型で、課題本はサマセット・モームの『月と六ペンス』でした。当日は著者や本のあらすじをおさらいした後、物語内容について考察しました。その記録を本記事に記載します。

  • 読書会はTwitter上で参加者を募り、オンラインで開催しています。
  • 今回参加いただいた方は4名でした。

サマセット・モームについて

フランスのパリ
フランスのパリ
パリの位置

モームは1874年、フランスの首都パリで生まれました。両親はイギリス人で、父はパリのイギリス大使館勤務の顧問弁護士でした。

ケント州のカンタベリー
ケント州にあるカンタベリー
ケント州の位置
ケント州の位置

病により8歳のとき母が、10歳のときに父が亡くなりました。モームはイギリスのケント州に暮らす、叔父(職業:牧師)に引き取られましたが、叔父とは不仲でした。モームは、ケント州の東にある町、カンタベリーの学校に通いました。

カンタベリーは、イギリス国教会の総本山がある町で、イギリス国教会という宗派ができるずっと昔から、キリスト教の聖地でした。カンタベリーへの巡礼を題材にした、西洋中世期の代表的な文学に、チョーサーの『カンタベリー物語』があります。この物語は、さまざまな職業・身分の巡礼者たちが、カンタベリー大聖堂を目指して一緒に旅する長い道すがら、それぞれの知っているお話を披露する物語です。

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ハイデルベルクの町並み。左奥に見えるのはハイデルベルク城。
ハイデルベルクの旧市街の町並み。左奥に見えるのはハイデルベルク城。
ハイデルベルクの位置
ハイデルベルクの位置

モームは16歳のとき、ドイツ最古の大学である、ハイデルベルク大学(1386年開校)に遊学しました。叔父は彼に牧師になることを望みますが、モームは作家を志したため、叔父と対立しました。ちなみに西洋最古の大学はイタリアのボローニャ大学(12世紀開校)と言われています。

ハイデルベルクは古城街道に位置する古い町で、森と川と家々の景色が調和した美しい町です。詩劇『ファウスト』や小説『若きウェルテルの悩み』で知られたゲーテは、ハイデルベルクの町を気に入って8回も訪れたと言われています。私も以前、ドイツ旅行した際に訪れているので、どんな町か知りたい方は以下記事を参照ください。

ちなみに、ハイデルベルク大学の図書館は、ドイツで最も利用されている図書館ランキングで、毎年1位になっています。14世紀から本を集めているので、蔵書量も膨大なのでしょうね。

モームは結局、ロンドンの医学校に進学し、医師の免許を取得しました。しかし医師になるつもりはなく、作家になることを決めていたため、小説を書きながら、生涯にわたり様々な地域を旅行しました。彼の旅行範囲は世界中にわたり、船で日本にも訪れています。第一次世界大戦(1914-1918年)中には、諜報員として働いていました。

1915年、モームの自伝的小説である『人間の絆』が出版されましたが、戦時中だったため注目されませんでした。

60歳のときのモーム。1934年撮影。
60歳のときのモーム。1934年撮影。

第一次世界大戦が終結したあとの1919年、『月と六ペンス』が出版され、アメリカでベストセラーとなりました。それに伴い、『人間の絆』も再評価され、モームは作家としての世界的名声を確立します。モームは91歳で死去しました。

『月と六ペンス』について

物語の概要

タヒチの現地民の絵を好んで描いたことで知られた画家、ポール・ゴーギャンに着想を得て創作された小説です。40歳を過ぎてから、美を生み出そうとする情熱に取りつかれた男・ストリックランドの画家としての半生が描かれます。

語り手の「わたし」は若手作家であり、ひょんなことから出会ったストリックランドの人間性に興味を持ちました。そこで、彼がパリにいる間にたびたび交流し、彼がタヒチへ渡って死んだ後、彼の軌跡をたどって現地住人に話を聞きに行きます。

ポール・ゴーギャン《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》1898年、ボストン美術館所蔵
ポール・ゴーギャン《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》1898年、ボストン美術館所蔵

実在の画家ゴーギャンと、創作された人物ストリックランドとの関連はあまりありません。ただし、画家として食べていけるようになるまで、株の仲買人をしていたことや、本当の妻がいながら、タヒチの現地人を妻に迎えたことなど、共通点もあります。

題名の意味

『月と六ペンス』の「月」も「六ペンス」も(月が満月であるならば)形が丸く、光輝くものとして、似たようなもの、ただし似て非なるものを示していると思われます。一般的には、「月」がストリックランドを、「六ペンス」がその他の平凡な人たちを象徴していると解釈されています。

題名の「月」は最初、ストリックランドの狂気性を象徴しているように思われます。それは、ストリックランドを表現する言葉として、「わたし」が「悪魔に憑かれたようだ」と表現することからも分かります。彼の狂気性を表しているエピソードとして、以下2点が挙げられます。

  • ストリックランドは美を生み出すこと以外に関心がなく、普通の人が耐えられないような貧しく不衛生な環境をものともしない。
  • 彼の周りにいる女性は、ストリックランドに原始的で本能的な魅力を感じ、彼をものにしようと試行錯誤する。しかしストリックランドは、そのために知人の画家が女性に捨てられようと、女性が自殺しようと、罪悪感などみじんも感じない。

※月が狂気をはらんでいることは、9月読書会記録「月が美しい小説/エッセイ」でも紹介したため、気になる方は参照ください。

しかし物語の終盤になり、ストリックランドが、自身が納得のいく絵を生み出してから死んだことが明かになると、題名の「月」は「狂気」に加えて、「真実の美」を象徴するようになります。つまり、「月」は狂気と美の両方をはらんでいると言えます。

一方で、「六ペンス」はお金であるから、美を生み出すことに関心のない、資本主義にまみれた文明人を象徴しているように思えました。それは物語中に出てくる、「文明人というものは、さまざまな工夫を凝らして短い人生をむだに過ごすものだ」(新潮文庫、2014年、33頁)という文章に現れています。

参加者の方に教えてもらったのですが、六ペンス硬貨には、イギリスの民間伝承で結婚や繁栄の幸せの意味があるそうです。そのため、六ペンスには「ふつうの人の幸せ」という意味がこめられているという解釈もできそう、とのことでした。(ストリックランドにとっては、ふつうの人の幸せが幸せでない)

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フリートーク

ここからは参加者の皆さんとお話したことを紹介します。記事に書く都合上、一程度のまとまりに分けて記載します。

モームはスパイ小説の先駆け的存在

モームは第一次世界大戦中に、諜報員として働いていたことから、その体験を基に、諜報員が主人公の短編連作を書いています。『英国諜報員アシェンデン』というその作品は、諜報員としての地味な仕事が書かれた、諜報員の仕事を知る上での面白い小説だそうです。かろうじて絶版になっていないため、買うなら今のうちですね。

スパイ小説は世の中の情勢が不安定になり、諜報員が暗躍していそうな状況になると、流行するようです(冷戦時代とか)。今でいうと007やスパイファミリー(かなりコメディ要素が強いですが)までつながる系譜となっています。

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劇作家であることの影響

『月と六ペンス』が注目される前、モームは劇作家としても活躍していました。そのせいなのか、台詞や登場人物の造詣が、現実離れしており、誇張的だという話が出ました。劇では、現代の映画やアニメと同じで、登場人物の性格や台詞が印象的である必要があります。そうしないと聴衆が飽きてしまうからです。小説は心理描写に重きを置いた芸術なので、本来、人物の性格や台詞が印象的である必要はありませんが、自身の劇作家の仕事に影響されたのか、『月と六ペンス』は劇的な小説に仕上がっています。

例えば、シェイクスピアの劇では、王と道化のような人物の対比や、二つの価値観の対比など、対比で物語を進めていきます。似たような技法が、『月と六ペンス』でも使用されており、それぞれの人物が相反する二面性を持っています。その点で、20世紀の作家にしては非常に古典的な技法を使う作家である、という話が出ました。他にも、地の文に格言めいた言葉が入ったり、ユーモアが入ったりする点が一世紀前のディケンズやイプセンの作風ようで古典的、という話も出ました。

しかし、そもそも西洋は戯曲の伝統が長いので、戯曲ありきの小説になるのもうなずける、という意見もありました。例えば古代ギリシアの哲学者、アリストテレスの文学論に『詩学』という論文がありますが、これは悲劇や喜劇という戯曲の物語の構造を論じたものです。小説は、印刷技術が普及した近代になって生まれた最近の芸術であり、戯曲のほうが芸術としてずっと長い歴史を持っています。

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人間は矛盾や二面性をもつ存在である

『月と六ペンス』の登場人物で、ストルーヴェという画家が出てきます。彼は、ストリックランドの芸術家としての才にいちはやく気づくなど、他人の芸術の才能を見つける能力に長けていましたが、自分自身の絵に関してはその観察眼をまったく発揮できない人でした(自分ではありきたりなつまらない絵しか描けない)。また、彼の妻として、ブランチという女性が出てきます。彼女は、ストリックランドのことをものすごく毛嫌いしながらも、同時に愛していた人でした。

『月と六ペンス』にはこのような、矛盾や真反対の二面性をもった人間が登場します。また、英文学者の中野好夫は、モームの『人間の絆』について、「通俗というラッキョウの皮をむいていくと、最後にはなにもなくなるのではなく、人間存在の不可解性、矛盾の塊という人間本質の問題にぶつかる」と評しています。これらのことから、モームが人間の矛盾について好んで書く作家だったことがうかがえます。

モームは諜報員という仕事をする中で、人間に裏表があることを実感し、「人間とは何か」ということをテーマにして物語をつくった人なのかもしれません。

ウィリアム・モリスについて

ウィリアム・モリス《いちご泥棒》
ウィリアム・モリス《いちご泥棒》

『月と六ペンス』では、ストリックランドの妻が、部屋の壁紙に、当時流行っていたウィリアム・モリスのデザインを使用している描写が出てきます。語り手である「わたし」は彼女について、「芸術を理解していると他者から思われたい人」として語っています。そのため、この描写からは、彼女はウィリアム・モリスの柄などどうでもよくて、芸術の流行に乗っている人と見られたいからそれを壁紙にしている、という皮肉を読み取れます。

ウィリアム・モリスが工場で大量生産できるデザインを生み出した背景には、庶民が良質なデザインの布を入手できるようになってほしい、という願いがありました。しかしモリスの想いとは反対に、彼のデザインが上流階級からも支持されたため、布が貴重になって値段が上がるという逆説的な事態になってしまいました。

日本では2017年にウィリアム・モリスの著作権が切れたため、今では誰もが彼のデザインを利用できるようになっています。例えば100円ショップでも彼のデザインの文房具を見かけるようになったのは、著作権が切れたという背景があり、今の時代になってやっと、モリスの願いが叶ったかもしれない、という話が出ました。

参加者の方に聞いてはじめて知ったのですが、ウィリアム・モリスはファンタジー小説も書いています。ファンタジー文学の祖といわれる、『指輪物語』を書いたJ.R.R.トールキンや、ロード・ダンセイニにも影響を与えたようです。日本語訳も出ており、『世界のかなたの森』などがあります。(でも『指輪物語』に比べたら足元にも及ばないし、ダンセイニと比べたらダンセイニのほうがよい物語を書くとのことでした)

チェーザレ・ボルジア

モームの他の作品として、『昔も今も』という歴史小説があがりました。16世紀に、法王軍総司令官だったチェーザレ・ボルジアの物語です。チェーザレの権力闘争は、マキャヴェリの『君主論』執筆に大きな影響を与えたといわれ、『昔も今も』にはマキャヴェリも登場します。

チェーザレはさまざまな物語で題材にされる、華々しい人物だったようで、参加者のうち二人の方が、惣領冬実の歴史漫画『チェーザレ』を愛読しているとのことでした。全13巻で、これから人生がはじまる!という少年時代で物語が終わってしまうそうですが、面白くてとてもおすすめだそうです。

大成しなかった芸術家を題材にした物語

『月と六ペンス』は(生きているうちに)大成しなかった芸術家の物語です。そこで、大成しなかった芸術家の人生に焦点を当てた物語として、以下2点が挙がりました。

  • ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』:音楽家が主人公
  • エミール・ゾラ『制作』:セザンヌをモデルにした画家が主人公

ちなみに、ゾラが『制作』で書いた主人公の人生が気に食わず、セザンヌはゾラと絶交してしまったそうです。

おわりに

今回は10月読書会の記録を書きました。

スパイ小説というジャンルがあったことを知ったのが、今回の読書会の一番の衝撃でした(それだけ平和な時代に生きているということですね)。今までまったく触れてこなかったジャンルなので、まずはモームの小説から読んでみたいなと思いました。

次回の読書会は12月を予定しています。課題本はチャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』にする予定です。

以上です。またよろしくお願いいたします。

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