中世ヨーロッパにおける夜の暮らし

太陽が沈むと、中世ヨーロッパの世界は一変しました。電灯のない夜は、単に暗い時間ではなく、昼とは異なる秩序と習慣が支配する時間でもありました。

人びとは夜をただ眠って過ごしていたわけではありません。本記事では、農村と都市それぞれの視点から、中世の「夜の暮らし」をたどります。

目次

中世の夜はどんなものだったか

まずは、中世ヨーロッパ全体に共通する、夜の過ごし方を紹介します。

どうしようもない暗闇

《鏡の前のマグダラのマリア》ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、1635 -1640年の間。

昼行性の人類にとって、夜は視覚情報をはじめとして、感受できる外部情報がいちじるしく少なくなる時間帯です。そのため、世界ではじめて電灯が発明(※)されるまでの、人類による夜の過ごし方は、どの地域でも似たようなものでした。すなわち、活動をできる限り控え、すべて睡眠に充てる過ごし方が主流でした。

※エディソンが1878年に電灯(白熱電球)を発明し、その後じょじょに、一般家庭に電気の明かりが普及していった。

前近代の夜の暮らしが、どれほど暗いものだったのかは、人工照明を使わずに、大自然のなかで寝泊まりすると分かるでしょう。そのような状況下では、焚火や蝋燭、ランプなどの自然由来の明かりが、どれほど頼りないかを実感できます。

頼りない明かりの中では、昼間に比べると何をするにもままならなりません。加えて、自然由来の明かりを持続させるためには、薪をくべる(なくなったら探し集める)などの手間がかかります。すると夜には、「寝る」ことが最も効率的だ、という結論になると思います。

たしかに「火」は、前近代の人類が、闇に対抗するために唯一使える手段でした。しかし人が制御可能なサイズの「火」程度では、闇を追い払うことは不可能で、夜はどの地域の誰にとっても、どうしようもない暗闇だったのです。

現代における、強力な光を放つ電灯は、いわば夜を人工的に「昼間」に変えているんだ。だから、電灯が発明されたことで、「夜が失われた」という考え方があるよ。興味のある人は、以下の本がおすすめだよ!

夜は悪魔の領域

フランシスコ・デ・ゴヤ《サバト》1970年代、ラサロ・ガルディアーノ美術館所蔵。サバトとは悪魔を中心とした魔女の集会のこと。
フランシスコ・デ・ゴヤ《サバト》1970年代、ラサロ・ガルディアーノ美術館所蔵。サバトとは悪魔を中心とした魔女の集会のこと。

中世ヨーロッパの人びとにとって夜は、単に「活動が制限される時間」ではありません。夜は、神の光があふれる昼間に対する、闇の時間帯であり、悪魔をはじめとする、あらゆる悪しきものが闊歩する時間帯でした。

というのも、キリスト教の創世神話では、世界ではじめて創造されたものは「光」であり、光が神の象徴とされるためです。ゆえに光が差すことにによって生じた闇は、伝統的に、(神の教えに背く)悪魔の象徴と解釈されてきました。

したがって、中世ヨーロッパの人びとは、効率性の観点だけからではなく、悪魔に出くわすかもしれないという不安から、夜には極力、活動を控え、出歩かないようにしていました。

光と闇に対する、キリスト教の考え方は、以下記事で詳しく解説しています。

早く寝ていただけではない?:一晩に2回の睡眠

The Flammarion engraving,1888年。

中世ヨーロッパの人びとは、どうしてもその日じゅうにしなければならない、というような、差し迫った仕事や用事がない限りは、日没から日の出までの暗い時間を、すべて睡眠に充てていました。なぜなら、夜は危険な時間帯である上に、蝋燭や薪などを使い、太陽に代わる光源を確保しようと思うと、お金がかかるからです。

中世期には、お金に余裕がある人ほど、夜に活動できる機会が多くて、お金に余裕がない人ほど、日没後はすみやかに眠る傾向にあったよ。

中世期の光源については、以下記事を読んでね。

つまり中世ヨーロッパの人びとには、現代人より睡眠に充てる時間が多くありました。そして睡眠に充てられる時間が多い状況は、現代とは異なる睡眠サイクルを可能にしました。具体的には、近世の終わりまでは、西ヨーロッパの人びとは、まとまった睡眠時間を、夜の間に2回取るサイクルで休息していました1

一日に複数回の睡眠を取る睡眠法は、「多相睡眠」と呼ばれます。じつは人工照明が普及するまでの人類は、夜の間に複数回の睡眠を取る傾向にありました。つまり多相睡眠は、動物としての本能に根差した習性であると考えられています。そして中世ヨーロッパの人びとの場合は主に、1回目の睡眠と2回目の睡眠の間に、1時間ほどの覚醒をはさむサイクルで睡眠を取っていました。

中世イングランド文学作品、チョーサーの『カンタベリー物語』にも、当時の人びとが夜に2回眠っていたことを示唆する描写があります。「騎士の従者の話(近習の話)」に登場するカナセー姫は、夕べになるとすぐに休息につき、「最初の眠りが終わると目を覚ましました」2。もちろん中世ヨーロッパにおいても、十分な睡眠時間が確保できない人は、現代人のように、1回の睡眠で済ませることもありました。

先ほど紹介した本、ロジャー・イーカーチの『失われた夜の歴史』では、人びとが1時間の覚醒の間に、何をしていたかが調査されていておもしろいよ!

睡眠時の習慣:裸体で寝ていた?

寝室でくつろぐ夫婦。Memmo di Filippuccio画、1306年頃。

現代とは異なる、中世ヨーロッパの睡眠にまつわる習慣は他にもあります。代表的な例を挙げると、中世ヨーロッパの人びとは、基本的には裸体で眠っていました

ジャック・ヴェルドンによると、共同寝室で寝なければならない修道士たちをのぞいて、中世の人びとは夜着を着ないで寝ていました3。そのため経済的に余裕がある、特権階級の間では、毛布に毛皮をつけて、布地を二重にするなどの寒さ対策がされていました。

現代人からすると驚きの習慣なので、どのような理由でそうしていたかの記述を探して、いくつかの本に当たりましたが、理由の記述は見つかりませんでした。とはいえ、中世期の生活状況を考慮すると、理由についてはいくつか思い浮かべることができ、個人的には、以下が妥当な理由だと思います。

理由1服のまま眠ると不衛生だから当時の人びとは、現代人のようにたくさんの服を持っていないので、もし服を着たまま寝るとしたら、昼間の服のまま寝るだろう(とくに野営中の旅人はそうしたはず)。すると、昼間の服は、日中についた砂埃などで汚いはずで(基本的には家畜がそこらじゅうにいるため、世話をするだけで汚れたはず)、そのまま眠ると汚れと一緒に眠ることになり、不衛生である。服はいわば、日中における外側からの汚れと、内側からの汚れ(汗など)を吸着して身体をきれいに保ってくれる防具で、それを脱げば、日中の汚れをベッドに持ち込まず、きれいな状態で眠ることができるのだ。

理由2裸体で休息を取るほうが、リラックスできるからそもそも、ヒトも動物なので、もともとは衣服をまとわずに生活しており、寒さの問題さえ解決できれば、衣服をまとわない状態のほうが、リラックスできるはずだ。とくに当時の服は、現代より製法技術が未熟だったから、伸縮性や肌ざわりの面で、とても着心地が悪かったはずだ。そうだとすれば、人前にでない眠るときまで、そのような窮屈な服を着る必要性はないと考える流れは妥当だ。当時の人にとっては、服を着た状態と、着ない状態では、当然、後者のほうがリラックスできただろう。

農村部での夜の暮らし

ここからは、中世ヨーロッパにおける夜の暮らしを、農村部と都市部に分けて紹介します。まずは農村部の夜の暮らしを紹介します。

月明かりを頼りにした農作業

《月明かりの下、人影のあるオランダの風景》アールト・ファン・デル・ネール、17世紀。

農村部に特徴的な夜の暮らしとして、まずは月明かりを頼りにした農作業を紹介します。

すでに紹介した通り、中世ヨーロッパにおいては、夜に活動を控えることが推奨されていました。夜に活動すると、第一にケガや死の危険があり、第二に非経済的だったからです。

しかしながら、生活を立ち行かせていくためには、睡眠時間を削って、見通しのきかない夜の闇のなかで、やむをえず仕事を進めなければならないこともあります。とくに、農作業を主な生計手段としていた人は、自然相手の仕事なので、自然の都合に合わせて仕事をしなければいけません。例えば、翌日から数日間雨が続きそうな場合には、通常は3日かけて収穫する量の作物を、その日のうちにすべて収穫しなければならない、というような緊急事態も多々ありました。

よって中世ヨーロッパにおける農村部では、夜の間に農作業を進めることが、たびたびありました。そして中世ヨーロッパにおいては、全人口のうち、農村に暮らしていた人の割合が8-9割と考えられている4ため、当時のほとんどの人にとって、夜間の農作業は身近なものでした。

「晴耕雨読」という四字熟語があるように、雨の日には農作業をしないのが基本だよ。

その理由は、決して「人間が雨に濡れないように」ではなく、商品=農作物の品質を保つためなんだ。具体的には、土が濡れた状態で作業をすると、土壌やそこに住む微生物や、作物そのものに悪影響が生じてしまうんだ。

たとえ収穫の段階であっても、雨の日に作物を収穫してしまうと、濡れた状態がしばらく続くから、作物が腐りやすくなってしまうよ。そのような作物は、自家消費するしかなくなってしまうから、やはり雨の日は作業ができないんだ。

人工照明の恩恵をうけながら暮らす、現代人の多くは、「夜間に明かりなしで作業をするのは不可能だ」と思うかもしれません。しかしながら、人工照明のない環境で過ごしてみると、日没後もしばらくは、手慣れた作業をできるくらいには明るく、空が完全に暗くなったあとも、月が出れば、その明かりだけで周囲の物の形を判別することができることに気づくでしょう。とくに満月の夜は、懐中電灯がなくても、周囲の景色を眺めながら歩くことができ、足元に自分の影があることを認めて、それだけ月の光源が明るいことに気づくものです。

月明かりは古くから、夜間に農作業を進めるために不可欠な光源でした。九月の満月、すなわち中秋の満月はイギリスにおいては「収穫月ハーヴェスト・ムーン」という名称で知られます5。これは収穫作業が最も過酷な時期に、この満月の明かりを利用して、作物の収穫を進めたからだと考えられています。同様に十月の「狩猟月ハンターズ・ムーン」は、猟師にとって有益な月明かりでした。

女たちの気晴らし「寄り合い」

農村部に特徴的な夜の暮らしとして、次に女たちによる手仕事の集いを紹介します。

中世ヨーロッパにおける、農村部の女性たちは、夜にひとところに集まり、お喋りをしながら、糸つむぎや縫い物、編み物などの手仕事をすることを好みました6。女性たちが集まる場所は、集会所があれば集会所、なければ持ち回り制で各家でした。この集いには、以下のようなメリットがありました。

  1. 単調な作業も、仲間と一緒にやればはかどった
  2. 一つの火を使って、大人数で作業するため、照明と暖房(薪などの燃料代)の節約になった

しかしながら、このような集いが自発的に行われていた最たる理由は、この会が女性たちの気晴らしになっていたからだと考えられます。

夜の集いでは、権力者や身近な人びとも含めた、あらゆる人のゴシップ(噂話)や冗談話に花が咲いたことは言うまでもありません。それに加えて、結婚生活や子育てについての悩みの相談も行われました。つまりこの種の集いは、女性たちにとって、日々の鬱憤晴らしと悩みの解決をかねた場でもありました。

夜の集いは、手仕事を進めるためでもありましたが、それと同じくらい重要だったのが、苦しい生活のなかで「また明日からも頑張ろう」と思えるような元気をもらえることだったのです。のちほど紹介する通り、男性にとってのこのような場は「酒場」でした。

『糸巻き棒の福音書』より、マッティアス・フスによる木版画、1480年頃。

15世紀に古フランス語で書かれた本に、『糸巻き棒の福音書(英:The Distaff Gospels)』というものがあります。この本では、中世後期の女性たちが信じていた、家庭生活にまつわるまじないや知恵がまとめあげられています。タイトルに「糸つむぎ」が入るのは、そのような話が、糸つむぎの寄り合い(=夜の集い)で語られていたからです。本に書かれた教えのなかには、例えば以下のようなものがありました7

  • 虐待する夫の気性を和らげるまじない
  • 夫に仕返しするまじない
  • 授かりたい性別の子供を受胎しやすくする方法

このように、女性たちによる手仕事の集いでは、さまざまな話が交わされました。

★中世期のまじない:キリスト教社会で存在が許されたのかも含めて、以下の記事で解説しています。

★糸つむぎ:生活の中でどのような立ち位置だったのかも含めて、以下の記事で紹介しています。

都市部での夜の暮らし

前章では農村部の夜の暮らしを紹介しました。ここからは、中世ヨーロッパにおける都市部の夜の暮らしを紹介します。

夜間は労働禁止

中世期の都市家屋が並ぶ、ヨーク(現イギリス)の街路・The Shambles。

まずは、中世都市に特徴的な夜の制度を紹介します。

すでに紹介した通り、中世ヨーロッパにおいては、夜に活動を控えることが推奨されていました。そして農村部と異なり、多くの都市では、夜間の労働(※)を禁止する明確なルールが存在しました。それは第一に、悪魔の領域である夜の不誠実性に由来しています。

しかしより切実な理由としては、火事のリスクが高まるからでした。なぜ火事のリスクが高まるかというと、中世期において、夜に作業しようと思うと、光源として必ず火を使うからです。

※労働には、商人同士の商取引も含まれた。現代の株取引で、夜間に市場が閉まるのは、中世からの慣習に由来していると思われる。

中世都市には「市壁」という、外部との明確な境界線が存在しました。そのため、壁を拡張しない限りは、都市面積が限られており、家同士の密集は避けられませんでした。ゆえに都市当局は常に火事の発生と、火の蔓延に頭を悩ませており、火事で都市を荒廃させないための施策をいろいろと考えていました。そのうちの一つが、夜間労働の禁止だったのです。

なお火事防止の観点は、中世都市の家の構造にも表れています。詳しくは以下記事で紹介しています。

治安パトロールの「夜警」

ロンドンにおける夜警。Thomas Dekker画、1608年

次に、中世都市の夜の暮らしに欠かせない、夜警を紹介します。

夜警とは、都市の治安を守るために、夜に市内を見回りする仕事人のことです。都市は農村と異なり、住民数が多いことから、素性の知れない外部の人も溶け込みやすい環境でした。そのため、人目の少ない夜間に窃盗や殺人などの犯罪が起きやすく、その対策としてほとんどの都市では、夜間パトロールを行っていました。そのパトロールを行っていたのが「夜警」です。

中世期の夜間パトロールは、日中に別の仕事をしている市民が、市民の義務として、無賃金かつ当番制で行うかたちが主流でした。しかし近世期に入ると、賃金をもらう専門職として「夜警」が確立していきます。

夜警が必ず携えていたモノは、第一にランタン、第二に杖または夜警用の矛でした。杖は、暗い夜道で物を探る、手の延長ツールとして使用されたほか、いざというときの武器にも使われました。

夜警が注意を払っていたのは、都市の内部にいる人たちだけではありません。ときには市外から、都市領主とは別権力の管轄下にある者から、奇襲を受けることもありました。そのため彼らは、都市の治安を脅かす、内外の敵に注意を払う必要がありました。言い換えると、夜警は市民の安全のためだけでなく、都市そのものの自衛のためにも、必要とされていました。

男たちの気晴らし「居酒屋」

居酒屋でくつろぐ男たち。ドイツの写本Mendel I 088 v, 1470年頃。

最後に、都市のおける夜の暮らしを彩った、居酒屋文化について紹介します。居酒屋は、女たちによる手仕事の集いと対になる、男たちにとっての気晴らしの場でした。

前提として、居酒屋は都市だけでなく農村にも存在しました。小さな集落では、一軒だけある居酒屋が宿屋もかねていることが多く、居酒屋は村人と旅人間の貴重な交流の場ともなりました。加えて居酒屋は、村人や旅人が自給できないものを購入できる、ちょっとしたコンビニでもありました。購入できた品について知りたい方は、以下記事で紹介しています。

居酒屋での主な楽しみはもちろん、酒を飲みながら、気心の知れた仲間とお喋りをすることでした。居酒屋は男たちの社交場の中心であると同時に、自分を迎えてくれる妻を持たない若者にとっての、家庭の代わりとしても機能していました。つまり居酒屋に行けば、誰かが用意してくれた食事や飲み物にありつけ、話し相手にも恵まれるのでした。

タブラで遊ぶ人たち。Carmina Buranaより、13世紀。

居酒屋での楽しみは会話だけではありません。そこではさいころやカード(トランプ含む)、タブラ(バックギャモンの原型)といった、ゲームでの賭け事も盛んに行われました。とくに酒飲みたちは、酔いにまかせて金をすってしまうことが多く、ときには着ている服も賭けていました8

しかし賭け事は、当時の宗教観点からも、夜の治安維持の観点からも、あまりよいこと見なされませんでした。よって、都市当局や夜警は賭博に目を光らせ、場所によっては、夜の賭博を禁じる発令も出されました。

おわりに

今回は、中世ヨーロッパにおける夜の暮らしを紹介しました。

中世ヨーロッパの人びとは、差し迫った用事がない限りは、夜の時間をすべて睡眠にあてる傾向にありました。なぜなら夜は危険な時間帯である上に、太陽に代わる光源を確保しようと思うと、お金がかるからです。睡眠時の慣習として、夜の間に2回眠ることや、裸体で眠ることを紹介しました。

農村での夜の暮らしは、農作業の都合に大きく左右されました。収穫期などの忙しい時期には、月明かりを頼りにした農作業が、夜の間も進められました。また、女性たちの気晴らしとして、夜に手仕事の集いがあったことを紹介しました。

都市での夜の暮らしは、規制に満ちたものでした。あらゆる都市では、基本的に夜間労働が禁止され、夜の間は治安維持のために、夜警が見回りしました。一方で、都市の夜の娯楽としては居酒屋が人気で、そこは男性たちの気晴らしの場になっていました。

中世ヨーロッパの人びとにとって「夜」は、仕事に縛られる日中とは異なり、いくらか気をゆるめ、遊びの要素を差し込める時間でもありました。夜は、身体だけでなく、精神を整えるための時間でもあったのかもしれません。

参考文献

  1. ロジャー・イーカーチ『失われた夜の歴史』樋口幸子、片柳佐智子、三宅真砂子訳、インターシフト、2015年、432頁。 ↩︎
  2. チョーサー『完訳 カンタベリー物語(中)』桝井迪夫訳、岩波文庫、2014年、233頁。 ↩︎
  3. ジャック・ヴェルドン『図説 夜の中世史』池上俊一訳、原書房、1995年、213頁。 ↩︎
  4. 河原温、堀越宏一『図説 ヨーロッパの暮らし』河出書房、2015年、6頁。 ↩︎
  5. 前掲書、ロジャー・イーカーチ、256頁。 ↩︎
  6. 前掲書、ジャック・ヴェルドン、161頁。 ↩︎
  7. 前掲書、ロジャー・イーカーチ、274頁。 ↩︎
  8. 前掲書、ジャック・ヴェルドン、181頁。 ↩︎

◎Twitterで記事の更新をお知らせします。よろしければフォローお願いします。

◎ブルースカイはこちら。

https://bsky.app/profile/sousou55.bsky.social

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次